怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

1/30

先日twitterで流れてきてどーーーーーーしても触れたくなったつぶやきがあったのでそれについて。

先に言っておきますが長いです。

が、気になる人にとっては有益なのではないかと思います。

 

無名のバンドマンがお金がないことを説明する、という旨。

 

 

僕は基本的に世の中の音楽を作る人たち全てに幸せに生きて欲しいと思っています。

で、その幸せの形って本当に人それぞれだと思っていて、音楽だけで食っていくことがゴールなのか。それとも趣味で続けていきたいのか。

その軸と、好きなことをやるのか、誰かの欲求を満たすのか、という軸と、それ以外にも色んな要素が絡まって、でその中で自分が位置すれば幸せでいられる場所をそれぞれに目指して欲しいと思っています。

なので、この人の活動も当然応援しますし、頑張って欲しいと思っています。

その前提で以下の話をするということをまずご承知ください。

 

で、音楽を作って発信している人ならば、上で言った軸のどの座標にいたとしても、「誰かに聞いて喜んで欲しい」「あわよくばお金にしたい」という気持ちはあるはずで、それを自分の欲求の中で最大化したいはずなんですね。

特定のジャンルの人にものすごい好きと言って欲しいのか、色んな人に聞いて欲しいのか。色々あると思います。

それらをちゃんと言語化しているかいないかは人それぞれだけど、「とにかく頑張ろう!」という気持ちでやっているんだと思います。

その上で、一つ一つ、「これはもっとこうしたらいいんじゃないか?」と思ったことがたくさんあって、でも本人に直接言ったら失礼なんじゃないかと思って、でも誰かに聞いて欲しくて、今これを書いている次第です。

 

ということで本題なんですけど。

バンドマンがお金がかかるのはなぜかというのを、こちらの方はいくつかにまとめて伝えています。

簡略化して伝えますが曰く、

①毎週のスタジオ代。週1回スタジオに入れば月に2万はかかってしまう。

②音源のレコーディング代。どんなにケチっても30万はかかってしまう。

③プロモーション代。CDR100枚を4000¥で買ってレコード会社100社に送ればそれだけで2.4万。MVを5万で撮れば7.4万。SNSでバズらせるのは至難の技だし、バズってもその時宣伝出来るようなちゃんとしたMVが出来ていなければ困る。

④レコ発イベンド代。ちゃんと人を呼んでいいイベントにしたいので土日に開催したい。必然的にレンタル代が高くなり、準備にも気合が入るのでどうしてもお金がかかってしまう。

 と仰っています。

 

僕は正直、これらの悩みはDTMを活用することと少し知恵を働かせることでほぼ全て解消出来ると考えます。

以下に説明します。

 

①スタジオ代について。

週1でスタジオに入る必要って実はないのでは?

ドラマーは仕方ないけど、バンドで使う楽器ってほとんど家で練習出来るものなので、それぞれのパートが毎日メトロノームに向かって、目瞑っててもパフォーマンスしてても完璧に弾けるくらいに練習しておけば、半分かそれ以下の回数に減らせるのではないかと思います。

バンドで合わせることにももちろん意味があるけど、それはライブ前に集中的にやれば良いのではないかと。

その分ドラマーの個人練習分をみんなで負担すればいいんじゃないでしょうか。

 

②音源のレコーディング代。

インディーズの無名バンドが、レコーディングスタジオで全てを録る必要ないのでは?

ちゃんと予算が出る状態で行うならわかるんですが、一番最初のバンドの音源なんて正直デモレベルでいいと思うんです。

その音が段々良くなっていくというのも応援する醍醐味のはずなので。

なので、思い切ってドラムは打ち込み、レコーディングも自分たちで宅録を活用するのがいいと思います。

ドラム以外のレコーディングは全てパソコンがあれば出来ます。

Macを元々持っていればlogic、あとはオーディオインターフェースを用意すれば、ギターや歌に関してはスタジオでマイクを借りて個人練料金で自分たちで録ればいいし、ベスはライン直でも全然大丈夫。

ドラムは残念ですが録音するのは時間とお金がかかるので、思い切って打ち込み用のソフト音源を買ってしまうのがいいでしょう。

BFDかAddictive Drumsが間違いないと思います。下手に録音するよりいい音がします。

すると多分全部合わせて10-15万くらいで出来るんじゃないかな?

 

ドラマーにしてみれば「ふざけんな」って思うかもしれないけど、やってみて欲しいと思うのは絶対損はしないから。

打ち込みを学ぶと絶対ドラムもうまくなります。

厳しいことを言うかもしれないけど、ドラムの録音費用が賄えないのはまだ求められていないからとも言えます。

「うちが予算出すからレコーディングしようよ」とどこかから声がかかっていない限り、それが今の自分たちの実力なわけだから。

だからと言って諦めて欲しくないし、限られた資源の中でもいいものを作って欲しい。

それが理由で「お金がいつもない」なんて嘆いて欲しくないんです。

あと曲さえよければ、音の質が多少悪くともわざわざCDを買う層やネットでディグってる層には伝わります。

とにかく作品を出しましょう。クオリティや迫力はライブで伝えれば良いと思います。

 

③プロモーション代。

これについてはいくつか論点があります。

まず、デモCDをレコード会社に送ることについて。

 

前提として、CDRは100枚で4000¥もしません。アマゾンで半額以下で買えます。

ケースが個別に欲しいのであればディスクユニオンや量販店で買えます。

 

そしてレコード会社にデモを送るとのことですが、それよりもネットを駆使するか、自分たちの音楽を質の高いものにする投資に使うべきなんじゃないかと僕は思います。

もちろんデモCDを募集しているレコード会社もたくさんあるし、その人たちは全部聞いていると思います。

ですが、僕の周囲で上に上がっていく人たちは、それよりもちゃんといい音楽を作ったり、自分たちが面白いと思うことを実践していく人たちです。

自分たちが面白い存在であって、音楽の実力があれば、向こう側から勝手に声をかけてきます。

レコード会社の人たちもゼロから人材を育てていく経済的余裕ももう無いはずなので、ネットでの募集以外は一旦デモを送るのはもうやめていいのでは無いかと思います(これはちょっと極論ですが)。

 

次に、MVの撮影費用について。

自分たちでiphoneで撮影編集すればお金はかかりません。

好きなロックバンドなんですが、The Cheseraseraと言うバンドがいます。

彼らのMVの中でもトップクラスにPVを稼いでいる曲はiphoneのみで撮影編集されているそうです。(確かTwitterで言ってましたが違ったらすみません)

The Cheserasera「最後の恋」Music Video - YouTube

これで5万は節約出来ます。

あとさらに言うと、ちゃんと実力があると「費用は出世払いでいいよ」と言ってくれる人も出てきます。

これはMVの話に限ったことではなく、レコスタとかエンジニアも結構ある話です。

「好きなものを作れればそれでいいから」と言う人は実は結構います。

だからいい音楽作るのが一番大事と言うのは、もはや前提の話ですね。

 

そして「SNSでバズらせるのは至難の技」。

これは確かにそうなんですが、何となく、これはチャレンジしたことのあまり無い人の発言だろうなと思ってしまいました。

SNSでバズるためには、ずっと続けることが一番大事です。

自分にあまり負担のかからないコンテンツを、息をするように毎日続ける。

それがバズへの一番の近道で、実は出来る人がとても少ない方法です。

「バズった後に宣伝出来るMVが必要」とのことですが、増えたフォロワーに対するさらなるアプローチの方が100倍大事です。

至難の技なのは前提ですぐに目が出る方法では無いので、何も言わずに地道にずっと続けるのが良いのではないでしょうか。

 

最後に④レコ発イベント代。

これに関してはとてもシンプルな発想で解決します。

共同企画にしましょう。

バンドで活動していればきっと仲の良いバンドがいるはずです。

理想はスプリットEP、でなくともお互いにいつまでに音源を作って、そのレコ発を一緒にやろうと言う話を先に取り付けます。

そして作品が出来始めたら、お店に相談しましょう。

何ならお店とも共同企画にすれば良いと思います。

そうすれば、最低でも必要経費が半分、下手すれば3分の1になります。

残ったお金で自分たちより有名で実力がありそうなバンドへのギャラを作って、出演交渉してみるのも良いかもしれません。

 

大体ざっと書いてきましたが、これだけで相当な経費節約になるんじゃないでしょうか。

色々反論もあると思うし、「そんな無責任な立場から出来るでしょ、とか言われても・・・」とか感じる方もいると思うんですよ。

わかります。

僕は押し付けるつもりとかないしみんな自分たちのペースでやるのが一番だと思います。

けど、お金が続かないから就職してバンドやめた、とか悲しいじゃないですか。

就職しててもバンド続けて欲しいし、バンドで食っていきたいならみんな成功して欲しい。

今って本当に生き方が多様になった時代で、誰だって考え方次第で自由に生きれると思う。

触れたことのない可能性に満ちた素晴らしい時代なんですよ。

みんなが好きなことをやって幸せに生きれることを、僕は願っていますよ。

で、出来ればそんな世界でみんながDTMをやるようになって、その中でネ申として君臨したい!!!!

 

あースッキリした。

まあ多分全然誰にも読まれないと思うけど。

本日のおべんちゃらは以上です。

1/8

水曜日のダウンタウンと言う番組がある。

その番組の中で、以前「下層youtuber地獄説」と言うのが取り上げられていた。

要するに、求心力の低いyoutuberは身体を張るしかなく、コンテンツの作り込みも甘いので痛々しいだけで面白くもなく、故に再生数も伸びずと言う地獄的悪循環が続く、と言う現象を面白おかしくプレゼンするものだった。

 

当時それを見た僕は、「うわあ、こんな身体を張ってしかも面白くないことをしてまで、この芸風で有名になりたいのか。よくわからないけどみんな大変なんだなあ」と感じたものだった。

しかし、今になってみると、彼らがいかに心が強いかと言うのがわかる。

鈍感力がすごいのだ。

再生数二桁でも動画を作り続けると言うのは、なかなかに出来ることではない。

共演者しか見ている人がいないライブハウスで弾き語りをし続けるシンガーソングライターと同等か、それ以上の心臓の強さと言えるだろう。

 

今年は頑張るぞと決めて年始から曲を作り、それを動画にしてと言うのを始めたわけだが、そうすると数字がやはり気になり始める。

動画一つ一つの再生数もそうだが、チャンネル登録やフォロワー増を目指して始めたわけなので、それらも気になる。

 

ちなみに、それらは明確に増えている。

明らかに確実に増えているが、気になってしまう。

これは恐らく、必要以上に気合が入っているからだ。

無理をしている。

数値目標も設定していないくせに「頑張ったんだからもう少し報われてほしい」と言うような気持ちが少し浮かんできている。

これは良くない。

要因としては長期的視点を持って取り組むことが苦手であることが挙げられるだろう。

そもそも、年が明けて一週間。一週間やそこらで成果が出るわけもない。

わかりきっていることだ。しかも既に少しずつ成果が出ている。

これ以上何を望むと言うのか。

 

あとは慣れの問題もあるだろう。

それこそ寝る前に歯を磨くかのごとく、朝起きて猫に餌を与えるがごとく、手軽に一通りのタスクを終えるように慣れてしまえば、淡々と毎日作業をしていくだけだから。

まずは一ヶ月頑張ろうと、昨日考えて結論した。

 

それと同時に自分の武器みたいなものが対世の中的にいかに弱いかと言うことも実感している。

どう考えても可愛い女の子が商品紹介したり驚いたり笑ったりしてる方が楽しい。

まあ自分に出来るのはプロフェッショナル仕事の流儀の下位互換の下位互換くらいなものだが・・・。

テクノロジーが進化し、自分も相応に年を取り、世相が見えれば見えるだけ、人が深層心理で何を求めているかと言うのがわかってくる。

わかってはくるが、自分にはそれを満たす要件がない。

残念なことではあるが不満を言っていても意味はない。

努力を続けることでしか努力が報われることはない。

 

持論だが、人は誰かの努力が継続的に形になっていることを何度か違う場面で目の当たりにすると、初めは無関心だったものが3,4度目くらいで尊敬に変わる傾向にある、と考えている。

僕の曲作りが1曲から3曲、15曲から35曲になっている頃には、初めは冷めた目で見ていた人たちも「こいつすげえ」となっている寸法だ。

曲作りだけではなく、動画にも言えるはずだ。だから頑張ろう。

 

責任と金銭的対価を抜きにした時、人は面白いと感じることしか続けられない。

それを続けることが苦にならないことをある種の才能と呼ぶ。

僕に果たして才能があるのか、試される2019年の始まりである。

下層youtuberの鈍感力に乾杯。

 

本日のおべんちゃらは以上です。

12/29

1年の振り返り。

読みやすさを気にせず思ったこと感じたことをつらつらと書き記していきます。

 

まず去年のものを読んでみる。

alloymusik.hatenablog.com

 

なるほど去年はSUKISHAを始めて少しずつ成果が出てきたから頑張ろうって感じだったわけだ。

今年はどうか。

 

今年はとにかくハースストーンをプレイした一年だった。

クラウドファンディングで得たお金で自分への投資だと言って購入したiPadで。

私はこの一年、カードゲームをして過ごした。

最近のゲームの面白さは本当にすごくて、時間が驚くほど吸われていく。

全く無駄だと思っていないし、むしろ充実していたとすら感じている。

 

が、まあパッとしない一年ではあった。

音楽的な活動については、恐らく順調。

外から見えている自分と、実際の自分はさほど違わない気がしていて、まあまだこれからだよねと言う感じ。

誰も自分のことなんか見ていない、と言う気持ちはまだかなりあるけど、でもやっぱり気にしてくれる人が増えているのは感じてる。

でもそれも全然これから。

むしろもう来年のことを考えて曲を作り始めている自分は偉い。偉いぞ俺。

 

一応備忘録的に書いておかなければならないことは何だろう。

クラウドファンディングが終わってCDが全国流通した。

SONYのオーディションのファイナリストになって、機材をアホほど買った。

そのオーディションの副次的財産として、Junk Food Societyをリリースし、それが案外再生されていることを目の当たりにし、やはり現代においてはYouTubeやブログと同様、短い曲を大量生産する形が産業構造に対しては適しているのだなと学びました。

 

まだ言えないけどおいしそうな話とかもあったりするけど、そんな感じの一年でしたね。

 

ハースストーンに関して話すと、ただゲームが楽しかったと言うだけではなくちゃんと学んだこともあって、それは今の動画の使われ方とかYouTubeの空気感みたいなもの。

オーディションでぎーにょと一緒になったことも関係してるけど、ハースストーンのプレイ動画を片っ端から見ているうちにチャンネル登録することが普通になっていった。

今まではあまりすることがなかったけど、そうなってみると毎回通知が来る度に動画を見にいく自分がいて、なるほど、これが現代。と感じたと言うのがある。

だから、制作過程を短い動画で公開していこう、と言う案が生まれた。

 

正直、発想が一周遅い。そして音楽の制作過程が万人受けするとは思えない。

けれども、僕にはぎーにょのようなファッションアイコン感はないし、武器になる、あるいはしたいと思うものなどあまりない。

ならば日常的にやっていることを公開していくしかないではないか。

ニッチなブログがアクセスを山ほど集めると言う話も聞くではないか。

始めたばかりで手応えは全くないが、頑張っていきたいと思う。

 

そして一年の振り返りとはあまり関係ないが、

先日幻冬社社長の見城徹氏がツイッターで「圧倒的努力は必ず報われる。報われないのは圧倒的ではないから」と言う旨のつぶやきをされているのを見た。

それに対して、2ch創設者のひろゆき氏が「見城さんが今からメジャリーガーになってくれるのなら信じますが・・・」と言う旨のコメントをされているのを見た。

 

これを見ていて僕は「努力は報われるのか」と言うことを結構考えて、結果、「努力目標の定義次第でどちらとも言える」と言う結論に至った。

何を言っているのか?

要するに「メジャリーガーになる」が目標で努力して、なれなかった時にその努力は報われなかったのか?と言う問いにどう答えるか。

僕はこれは報われる努力だと思う。

なぜか。僕の考える努力することの最終的な目標は「豊かに生きること」だから。

メジャーリーガーになるって言うのは、短期的にはそれが一番の目標かもしれないけど、人生を豊かに生きることには実はさほど関係がない。

むしろ、その時積んだトレーニングや思考法、人間関係なんかが、ちゃんと努力を積み重ねていれば仮にメジャーリーガーにはなれなくとも絶対にその後に生きてくる。

と僕は信じている。

 

「成功体験を積み上げる」と言う言葉があるように、努力して何かを達成した、と言うこと自体が人にもたらす効能はとても大きい。

ひろゆき氏は恐らく努力目標を短期的及び論理的に捉えていて、メジャーリーガーになるための努力をしてメジャーリーガーになれないのならその努力は意味がない、と言うスタンスなのだと思う。

ただ僕は今から見城さんがメジャーリーガーになるための努力をしても、それは報われると思うなあ。絶対新しい発見がある。

それが何かのアイディアだったり、人を見る視点のヒントだったり、そう言うものになる。

 

僕は一生音楽を作り続けると思っているしそれを実践していくけど、何故そうするかと言えば、そうしている自分が恐らく一番豊かだからだと思う。

何を持ってして「豊か」と言うかすらも人それぞれだが、幸せに生きられない多くの人はそれを定義出来ていないことに原因があるのではないか?と思っている。

金があって、うまいものが食えて、女にモテれば幸せなのか。

うん、それは幸せだね。

 

ではなくてだな、自分が一体何をする時幸せと感じるのか?

と言う問いに返答出来ないと、いくら金があっても、女にモテても、周りからは羨ましがられようと自分が幸せだと感じられる生活は出来ないのではないか?

自己分析と変化し続けることを厭わないことが、我々を幸福へと導くのではないか?

まあそんなことを思うわけです。

 

友達を3人だか4人だか経由すると誰とでも知り合えちゃうみたいな話はよく聞くけど、ならみんなまだ知らないだけでもう友達じゃん。

僕はお友達みんなが幸せでいられるといいなあと思ってますよ。

 

なんだそのまとめ方。ウケるな。

 

さて、今年の総括はそんな感じなんだけど、来年振り返る時のために、SNSのフォロワーの数だけ一応メモっとこうと思う。

twitter 3249

instagram:538

youtube:783

インスタが貧弱で不甲斐ないけど、最近ストーリーでひたすら制作風景上げてるからかフォロワーが増えてきています。

YouTubeはまずは1000人突破を目指したい。

 

でもこれを地道に頑張るには、ちょっと機を逸しすぎてると言うか、22歳ならそうすれば絶対勝てたねみたいな話だと思うので、何かブレイクスルーを経てズドーンと一発かましたいところだよね。

わかる。

 

あ、あと来年かどうかはわからないけど、思ったことをある二人の対話として小説風に書くことで、自らの感想ではなく物語として他人に消費させる、と言うのをやってみたくて、手をつけたい。

noteとかで趣味で公開していけたらいいなと思ってる。

ただ来年中に出来るかは謎。だって曲作りが鬼すぎるから。

誰だよ来年36曲作るって言ったやつ。俺だよ。

 

言いたいことは大体言ったので、年末だからか100g98円だったので買ってきてしまった豚バラのブロックをうまいこと調理して食ってやろうではないか。

 

それでは皆さん、よいお年を。

今年のおべんちゃらは以上です。

11/14

やらねばならぬことから全力で逃げ続けている11月。

 

アイディア待ちというのはあるが、そこそこ煮詰まりつつ現実逃避も込みでひたすらピアノの練習をしている。

年末に向けて不甲斐なさが加速していく。

a.k.a. SNSでは友人知人がどんどん動きを見せていて、その間自分は何をしているのかというと、何もしていない。

今月は本当に何もしていないな、としみじみ思ってしまう感じのこのヤバさ。

 

このままいくとマジでまずいので、今月はもう二大タスクを終えたら優勝ということにしてあとはもう遊ぼうと思う。

ダイエットホリデー的な。

遊ぶ相手もいないが。毎日ゴロゴロしているだけだが。ピアノの練習しかしていないが。

 

12月に入ったらマジで曲作ろう。

12月5曲、1月5曲でEP2枚作れるように頑張りたいと思います。

片方は純粋にいい曲集、もう片方は挑戦的な内容、に出来たら理想。

 

やると言ったことのうち半分はやらない男なので期待はあまりしないでください。

全く、不安を取り除く手立てが見付からないぜ。

未来の自分を信じて、長期的視点を持って取り組んでいこうぜ俺。

 

朝晩の冷え込みが冬っぽくなってきましたね。

季節の変わり目は毎回誰かもわからず「誰かに会いたい」と思ってしまいます。

それはきっと俺が会いたいと思う人に会うことも適わず、原因も改善方法もわかっているのに何もせずに天井を見つめて暮らすような社会的弱者だから何だろうなあ。

 

幸せの定義を調査する、という実験があって、その結果幸せの定義は人によって違うのでうまくまとまらなかったそうで。

ただ「孤独は人を幸せにはしない」という調査結果が出たらしいです。

何か胸にズシッとくるよな。

 

先日友達が2人ほどうちに来るってイベントがあったんだけど、機材と箱と寝床しかない俺の部屋を見て、「服役囚の暮らし」「人の住む場所ではない」などということで合意した。

気持ち的に追い詰められてなきゃ「シャァカのっ手のひらぁのウェーーイwww」とか歌わねーっつーんじゃ。

 

ぐあーーーやるぞ。俺はやる男。

最近マジで人に会う度「不甲斐ない」としか言ってないけど、そろそろ、もうそろそろ何とかしないと本当に不甲斐ない。

この気持ちがヤバさのスレッショルドを超えた時、また名曲が爆誕するのでしょうね・・・

 

本日のおべんちゃらは以上です。

10/16

オーディションを終えて思うこと。

 

バズはそこそこ大事。

「話題になる、させる」ということがここまで一般人に可能になった今、使えるものを使わないのはどう考えても悪手。

事実、Seaboardを使った楽曲はツイッター上でかなり拡散され、それを契機にフォロワーが増えたり、気にしてくれる人が増えたりはした。

 

けれど、「続けられる好きなこと」でやらないと、絶対きつくなる。

何故かと言えば、どうしても俗っぽい内容にならざるを得ないから。

一発屋的発想でのバズは喜怒哀楽や三大欲求を刺激するものに性質が寄っていく。

誰でもわかるものというのは、バカに寄せていると言う意味でもあるからバカらしくもなる。

自然とアーティスティックなものからは離れていく。

コンテンツの良さと言うのは人によって違うし、そう言うものを否定するつもりはないけれど、自分は文化を愛でると言う感覚を大事にしたい。

ので、オーディション期間中はネタ感のある曲をたくさん作ったが、ギリギリ自分の中で許せる範囲の、自分のことを嫌いにならなくて済むような内容で、と言うのは最初から決めていた。

 

音楽の一番の根幹の部分、大事なものを捨ててしまっては意味がない。

それは行きたくない会社に行ってやりたくない仕事をしてお給金をもらうことと大して変わらず、それなら普通に働けばいいし作りたくない曲を作ってお金を儲ければいい。

あくまで自分にとってかっこいい音楽を世の中に認めさせて、才能のある人間をフックアップして、文化芸術を拡大再生産していく、と言う姿勢を貫き続ける。

でなければ今のところの生きる理由が中途半端になってしまう。

僕は今のところ、Seaboardの曲がバズって2000イイネをもらうよりも、釈迦の手のひらのような曲を作って家族や友達が「いい曲だね」と言ってくれることの方が嬉しい。

 

もう一つ理由を挙げるなら、バズを起こして人気を得る方法は実はかなり時間がかかる。

世の中は刺激で溢れているし、遊び道具は無限に存在する。

どこかで発想をぶっ飛ばさないと、大体みんな見たことのあるものになってしまうのでそう簡単に注目はされない。

Seaboardの曲がウケたのは曲の内容だけでなく、物珍しかったから。

視覚的にも珍しくてパフォーマンス性が高かったからだろうし、大道芸のような要素も無ければ残念なことに衆目は集まらない。

さらに言うならば、この一回のバズすらも世の中の規模からしてみれば小さい数字と言わざるを得ない。

で、この数字を増やしていくためには、一つの方向性・嗜好性を持ったコンテンツを継続的に出して行き、気にしてくれる人を増やさなければならない。

途中からは恐らく倍々ゲームのように、跳ねる時の大きさが劇的に変わっていくのだと思うが、そうなっていくまでにはかなりの時間や運の要素が必要になる。

好きなことで無ければ絶対に出来ない。

少なくとも僕はJunk Food Societyのような曲をさらに量産していこうとは今のところ思っていない。

 

「いい曲だけ作っていればいい」とは思わない。

いい曲の定義が人によって違う以上、押し付けがましくなってしまうから。

だけど必要以上に世の中(だと自分が思っている何か)の気持ちを忖度することも大して効果はない。

このオーディションとJunk Food Societyでそれがよくわかった。

 

とりあえず目下自分がするべきことは息をするように曲を作って公開してを繰り返していくことなのかなと。

色んな話が少しずつ動いていてまあ面白くなりそうなので、このブログを読んでいるレベルのマニアの皆さんは期待していてください。

オーディション終わったからしばらく曲作りもせずに漫画やゲーム三昧したいところだが、そうも言ってられないようで、ハァ・・・となっています。

 

今後はYouTube関連を増やしていきたいと思ってて、曲だけでなく制作風景だったりも上げていけたら理想。生配信もしたいけど、ちょっとわかりません。

まあ楽しく生きていきたいよね。

 

あ、あとよくネットでの動きしか見たことのない人と実際に遭遇すると言われるんですが、寡黙なアーティスト系の人ではなくて、僕めちゃくちゃよく喋るしフレンドリーな方です。

番組見ればわかるように音楽好きなただのアホです。意外と感受性豊かで繊細で傷付きやすい方だけどね。ぐはは。

その辺で見かけたら話しかけてくれても構いませんからね。

 

本日のおべんちゃらは以上です。

9/8

夏の終わりに感じる喜びと幸福の絶対性・相対性について。

 

先ほど新曲を作るのをサボっていることを頭の隅で感じつつ缶ビールを2本ほど飲み干してコンビニへ酒の買い足しへ向かう道すがら、夜風の涼しさについに夏が本格的な終焉を迎えようとしていることを感じた。

皮肉なことに、我々は夏が無ければ夏の終わりを喜ぶことが出来ない。

夏が存在しなかったら、まとわりつくような湿気や歩くだけで汗をかいてくるあの暑さに対する最悪な気分と、その不幸からの解放を感じることはないのだ。

カタルシスとは抑圧からの解放を意味する。

夏の終わりはある種それに近い喜びを醸し出す。

 

そう考えると地球はすごい。

四季の演出によって我々は暑さからの解放 a.k.a. 秋の訪れ、寒さからの解放 a.k.a. 春の訪れと、生きているだけで少なくとも二種のカタルシスを体験することが出来る。

大変にドラマチックな惑星だ。

 

さて、ここまで書いてきてわかる通り、今日のトピックももちろん大した意味はない。

 

人間の感じる幸福には絶妙なバランスで絶対性と相対性が共存している。

「贅沢」という言葉がある。

自分が贅沢だと感じるものに、このブログを読んでいる皆さんはどんなものを思い浮かべるだろうか?

恐らく、大半の人が「いつもよりちょっといいものを体験すること」を思い浮かべるのではないだろうか。

 

いつもの生活と比べて、相対的にいいものを消費しようとする時、きっと人は贅沢感を得る。

第三のビールストロングゼロがYEBISUや赤ワインに変わる。

アメリカ産の牛肉が国産和牛に変わる。

 

或いは、旅行という行為に感じる非日常。

僕は旅行にあまり興味がない。

準備が面倒だし、どこに行っても食い物も酒も大体うまいし、景色の綺麗さの違いがわからない。

田舎はどこに行っても田舎だし、どこに行っても文化的なものは素晴らしいから。

世の中には実は面白い人がたくさんいて、そういう人が面白いものを作っているのはどこに行っても同じだから。

どうしても知らない土地で知らない場所を探すのは面倒になってしまう。

 

旅行が趣味の友人というのは、存外多い。

何が楽しいのかはもちろん聞いたことがあり、その質問に対する返答の多くは「非日常を感じられるから」という意味合いであることが多い。

つまり、「普段の自分の生活とは違う何か(欲を言えばいつもよりちょっと良いもの)を消費したい」と考え、そしてその願望を叶えることに喜びを得ている。

 

要するに、人の喜びの多くには、相対性=何かと比べて良い悪いという物差しが含まれている。

比べることで得られる優越感、劣等感はもはや人の性と言ってしまっても良いのだろう。

 

もちろんそれだけかと言えば実はそうではない。

国産和牛を食べてまずいと言っている人間を僕はあまり見たことがない。

経験値ゼロの人間が消費しても素晴らしいものというのは確実に存在する。

特に食に関して言えばそれは非常にわかりやすく、例えばラーメン、カレー、寿司なんかは代表的だろう。

 

ただそれが、毎日同じになってしまうと途端に我々はその価値を見失う。

どれだけうまかろうが毎日同じものを食べていて幸福を感じられる人間はそういない。

結局はバランス感覚なのだ。

 

反対に、どれだけ一番を取り続けようとも飽くなき探求をやめないような人も存在する。

人と比べることに意味はないと考え、自分の好きなものを追求することの喜びを知っている人たちだ。

僕はどちらかと言えば、そういう人のことを好きだなと思う。

そういう人は、努力の価値を知っているから、誰かのことを何かと比べてバカにしたりしない。意味がないから。

 

人と比べられることで価値を得ている事実はあっても、それが目的になっていない。

そういう存在にやはりなりたい。

 

世の中には人と違うことで価値が高まるものと低くなるもの、人と違わないことが価値であるもの、そうでないものが存在する。

文化とは大衆に定義されるものであり、それはいくら誰かが文句を言ったところで変わらない。

その事実を受け入れつつ、それでも反骨心を持って自分を貫く人って、グッとくるよね。

そんな人間に自分もなりたいよね。夏は終わってくれて本当に嬉しいよね。

 

本日のおべんちゃらは以上だよね。

8/23

「ここは日本なんだから、今の日本のルールに従うべき」と言う意見について。

 

www.buzzfeed.com

 

新曲作りをサボってツイッターをのほほんと眺めているとこんなニュースが流れてくる。

子供と配偶者の名前をタトゥーとして体に入れたりゅうちぇる氏。

簡単に言えば、その行動に一部が「引いたわ〜」と言っていると。

 

まずテレビがうちにはないので、りゅうちぇる氏のこともその家族のことも基本的に僕は知らない。

タトゥーを入れることの是非を語るつもりも全然ない。

子供の名前がいわゆるキラキラネームであろうがどんな発言をしようが、何も誰かを傷付けたり違法行為をしているわけでもない。

現段階で彼が行なっている一挙手一投足は誰に文句を言われる筋合いもないし、いい意味でも悪い意味でもさほど関心もない。

 

強いて言うならば、やや前時代的な議論だなとは感じる。

タトゥーは刺青とは意味合いが異なる。

前者はやや思想主張型のファッションであり、後者は反社会勢力の象徴である。

同一視するべきではない。

将来僕もタトゥーを入れる時が来るかもしれない。ちょっと興味もある。

 

で、大事なのはそのタトゥーの話ではなくて、寄せられたコメントの中にどうしても看過出来ない、と言うかこの手のコメントが一番イラっと来ると思うものがあったこと。

 

新しい価値観や文化を取り入れていこうとする人に対するよくあるコメント。

 

「ここは日本だから」

「今のルールに従って」

 

これがもっと攻撃的な言い方になると、

 

「嫌なら日本から出て行け」

 

になったりする。

 

まあね、わかる部分もあるよ。

ルール設定、特に法律なんかはね、内容考えてる人はめちゃくちゃ優秀で賢いですよ。

 

SNSではもう当たり前になってしまった一般人の鍔迫り合い a.k.a. オーラルプロレスを見てご覧なさい。

この世の中は、ちょっと油断をすれば「何が事の発端かもわからず」「やられたらやり返す」を繰り返す、いわゆる同害復讐の原則がまかり通ってしまうんですよ。

 

どんな人間だって、自分の痛みには敏感で、他人の痛みには鈍感になりがちなんですよ。

自分がやられたことを平気で他人にしてしまうんですよ。だって自分は痛かったからね。

痛い思いをさせた人や出来事、世の中を一般化して、誰か別の対象にすら石を投げてしまうものなんですよ。

見る度くだらねえって思うようなやり取り、現実でもSNSでも溢れかえってるでしょう。

 

じゃあ何で辛うじて我々が人としての尊厳を保って生きているかって言うとね、法律があって、それを守ってるからですよ。

かつては法律ですら同害復讐の原則で定められていたことがあった。

だけど、人類は長い歴史からそれが無益であることを学び、大まかなルールではそう言うのはやめましょうね、と。

憎しみ合いは無意味なので愛と無関心のみで我々は幸せになって生きましょうね、と。

偉い人たちがそこに気付いてルール設定が行われたわけです。

じゃなければ世の中は未だに殺し合い憎しみ合いの連鎖だと思いますよ。

戦争は無くなってないけど、まだマシどころかとっても平和ですよ。

で、僕はそのルール設定は非常に尊いと思うし、その制定及び保守運営を続ける人たちはとても賢いと思うんです。

そりゃこんだけ整ったシステムがあって不平不満があるなら、嫌なら出て行きなさいよって思う人がいても、まあわかるはわかりますよ。

実は国家権力は原則として非常に優秀であると言うことは肯定していきたい。

 

だけどね、ルールってマイナーチェンジしていくべきものなんですよ。

状況は刻一刻と変わっていくわけで、特に現代なんて、10年前に無かったものを誰もが使っていたりする。

そう言う時に例えば30年前までしか効力無かったルール守ってたって意味ないですよ。

 

無意味なことは変えていくべきだし、大事なものは変えないべき。

いいものは取り入れて、ダメなものは排除していくべきだ。

 

で、何度も言うけど、タトゥーがいいものか悪いものかはどっちでもいい。

一応は許されてるんだから、誰だって好きにすればいい。

 

ただそれを「ここは日本なんだから日本のルールに従え」と言うのは、マジでよくない。

非常に思考停止的で、たくさんの可能性を奪う言い方ですよ。

それがどれだけの文化発展の機会を奪うのか、お願いだから想像してみてほしい。

 

よく考えればわかるように、「ここは日本だから」がまかり通るなら、その思想を押し通すなら、

そもそもテレビは日本にはない。

iPodスマートフォンもパソコンもインターネットもない。

NetflixAmazonGoogleFacebookSNSもない。

カレーもパスタもチョコレートもラーメンもチーズタッカルビもないんだよ。

 

外来文化を排除するのなら、それは鎖国時代と一緒だ。

そういう批判は、存在自体が無自覚なダブルスタンダードだ。

Instagramにそんなコメントが付くなんて、それ自体が痛烈なブラックジョークだ。

頭が痛くなる。

 

何度も何度も言うけど、想像力の欠如は地獄を作るよ。

まあ逆に思い切り大きな成果を叩き出す時があるのも知ってますが。。

 

全く難儀な世の中ですね。

 

あ、僕はそこそこ頑張って曲作ったりご飯食べたりしてます。

別に大してみんな読んでないと思うし大して気にしてないと思うけど一応。

 

他人事ではなく、肝に銘じて生きていきたいですなあ。

 

それでは本日のおべんちゃらは以上です。