怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

ここのところ思うところをマジに適当に書こうと思うんですけど

最近感想とか、考察とかそういうものを言語化する能力が自分が望んでるほど無いことに残念さを感じています。
こういうのはやはり何か読む度に文章にしたりすると向上するものなのでしょうか。

 

ここのところ自身の不甲斐なさと闘っています。
比較的みんなそうだと思うんですが自分が属しているコミュニティというのはそう簡単に変わるものではなくて、これまでのその固定的だったコミュニティでは割と円滑にコミュニケイション出来ていたつもりだったんですね。

 

それが最近は知らない人に会う機会が多かったり、これまでとは別のコミュニティで己を試されてる感があります。

これはむしろ運が良いとは思うのですが。

 

しかし結局のところ私は自己顕示欲の塊なので、パワーバランスが違ったり同じタイプのスタンド使いがいたりした時、これまでの成功体験とは違った勝ちパターンを見付けなければ気持ちよくなれないということはわかってはいるが即座に対応出来ず、その上迷惑をかけたり使えない自分を強く感じたりするタイミングが多いわけです。


それは交友関係でもそうだし、音楽でもそうです。

今までは偶然うまくいってただけで、俺ってちょっとしたコミュ障だし空気読めないやつだなって客観的に思うんですよね。

まあ元々、こんな性格(と言ってもどんなんかわからない人ほとんどですよね)なので、それなりに今までも集団心理に打ちのめされたり社会的軋轢に呻いたりはしてきたんですけども。

 

己の非常識であったりコミュ障であったりそう言う部分は自覚はしているつもりなんですが、根本的には危機感を感じてないから直そうとしてないんだろうなって思うわけです。

 

で、そういうのを感じる度に、ああ早くここから抜け出したいと感じるんですけども。

多分この輪を抜け出す事はそんなに簡単じゃあないんだろうなと。

かといって諦めて内に籠ってしまうのも何か違うし。やっぱりプラスマイナスの振れ幅が人生を作っていくものだと思うので。

めんとくささと達成感はセットって3月のライオンにも書いてあったし。

 

こういう自分にとってはマイナスな感情が行動力に繋がったりすることもわかってはいるけど、辛いときは辛いものです。

 

あぁそうか。

内に籠るというか、ただ一つの勝ちパターンを固定的なコミュニティの中で繰り返すのはそれこそ裸の王様とか、井の中の蛙に近いんだな。

そうなる前にこうやって知らない人に会ったり空回りしたりするのはある意味では孤立や孤独を抑止するのには良いのかもしれない。

 

とか言いつつ心の中はいつも孤独なのが人間ですけどもね。

 

どうしてもある集団の中に身を投じると、その中心にいたがる自分がいると。

でもそもそも中心とは何なのか?

一番目立っているということ?

一番面白いということ?良く喋るということ?

それは全て、その集団に属する他者が存在しなければ成り立たないわけで、黙って聞いてくれる人の方がもしかして中心なんじゃあないのかと。

 

その問いは音楽にも同じ事が言えて、自分の音楽が存在するのは、他人が聴いてくれるからではないかと。

聴衆がいなければ成り立たないとしたら自分は歌っているのか?歌わされているのか?誰に?

 

とかね。そういうこと考えたり。

 

ちゃんと会社勤めしてる人ってかっこいいなってやっと思う様になりました。

このブログにオチはありません。

 

書きたい事は書いたのでひっそりと音源作成する日々に戻ります。

あばよ!!!