怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

雑記4/7

「池澤くんは本質的に正直なんですね。そう言う人は何かを表現するのに向いていると思います」 

実家に帰った時に小〜高まで英文法を習った恩師に挨拶に行った時言われた言葉です。

 

高校時代、付き合っていた彼女にフラれて随分鬱ぎ込んでいた時期がありました。

僕はあまり覚えてはいないんですが、その時期どうやら恩師にもフラれた、辛いという話をしていたらしいのです。

先生は未だに覚えていて、そういう風に仰ったようでした。

 

この言葉は、かなり的を射ているように感じます。

最近友人たちとmiitomoで遊んでいます。内容は基本、質問に答えるものです。

 

「ざわちょめは一生モテモテだけど貧乏と、全然モテないけど大金持ち、どっちが良い?」とか聞かれるわけです。

 

深く考えずにどっちか適当に答えればいいんですけど、僕は迷ってしまうんです。

結果、「そんな両極端は選べない。モテてお金もあるのが一番いいに決まってる」とか答えちゃうんです。

 

要するに、受け流すことが下手なんです。

どうでもいい嘘は沢山つきますが、本質的な嘘を僕はつくことが出来ません。

 

人のライブを見た時、「ギターはいいけど曲は大して良くないな」と思ったら、感想を伝える時は「ギター、いいですね」としか言えないんです。

嘘でも誉めようとすると、メタ的な自分が必ず責めてきます。

思ってもないこと言ってんじゃねーよ、と。

本当に好きなものに関して嘘は絶対につけない。

 

あとは好みの問題、というところまでレベルが達していないものを誉めることは、自分と自分の愛するものに対する侮辱だと思うのです。

 

言うまでもなく、賢くありません。

処世術としての嘘は悪ではありません。むしろ正しい。

僕の尊敬する先輩は、年上受けがとてもいいそうです。

礼儀作法がしっかりしていて、相手を持ち上げ自分を出さないことが円滑なコミュニケーションを導くということがわかっていて、実践出来ているからでしょう。

 

その先輩と礼儀について話したことがあります。

何故尊敬しているわけでもない人間に敬語を使わなければならないのか。

言葉遣いに関してならばまだギリギリわかる。

だがなぜ自分より長く生きているというだけで当たり前に偉いと思っている人間がこの世の中には多いのか。

尊敬というのは行動で集めるものだ。敬語に代表される敬意というのは強要するものではなく、自然に発生するべきものではないのか。

僕は後輩にタメ口で話されたって何の抵抗も無い。理解出来ない、と。

 

その時先輩は言いました。

特に仲が良いわけではない間柄でこそ、敬語が必要なんだと。

一般社会での不要な諍いを避けるためのセーフティネットとして作用するということなのでしょうか。

知識としては理解出来ます。が、実感として伴っているかと言えばそうではありません。

 

要するに、本音と建前が使い分けられない。外用と中用の自分みたいなものが作れていないのです。

自分の周囲では常識的に使われている言葉や振る舞いが他のコミュニティでは非常識として取られることがあり、その度に戸惑います。

が、よく考えたらそれはその言葉や振る舞いは友達の間柄だからで、みんな外では普通に処世術的なものを駆使出来ているのではないか?

おかしいのは俺だけなんだろうか?

そういう悩みをたまに抱えます。

 

王様達のヴァイキング、という漫画があります。

主人公は天才ハッカーで重度のコミュ障なのですが、投資家に拾われて現代的な事件を解決し成長していくという物語です。

主人公はこれでもか、というくらい一極集中型でして、僕は彼にどうしても感情移入してしまうんです。

 

僕は友人をして「音楽と料理しか出来ない人」と言わしめる男です。

本当に出来ないことだらけで、それが理由で辛酸を舐めたことも何度もあります。

「人の気持ちがわからない」とか「空気が読めない」なんてdisをくらうこともあります。

幸か不幸か、その主人公とは違って最低限生きていけるだけのコミュニケーション能力や生活能力は身に付けることが出来ました。

しかし、作中で彼の不遇な記憶が描かれる度に泣きそうになります。

 

どうしてこんな当たり前のことが出来ないんだろう。

そう悩んだことは一度や二度ではなく、他人からそれを責められることも多々ありました。

家族には溜め息混じりに許され、それがまた辛かった。

自分は望まれて産まれて来たわけでもない。きっと生きてても誰の為にもならないのに、社会に何も還元することも出来ない。

そうやって鬱ぎ込んでは曲を作って自分を保っていたものでした。

 

今は随分ポジティブになって、自分の培ってきたものは無駄ではないしこれでいいんだと思えています。

それはきっと友人だったり、自分の音楽をちゃんと好きだって言ってくれる人がいるからなんだろうなぁ。

感謝してます。

 

僕にとって音楽作りは、自分の存在を確認することでもあります。

何か産み出していないとすごく不安定になる。

最近は毎日作ってます。楽しくて仕方が無い。今この時、この人生を自分が生きていて本当に良かった。

今までは暗い曲ばっかり作ってたけど、もっと別の自分も表現出来るんじゃないか、という気がしています。

正直者で何が悪いんじゃい。俺は自分が良いと思う音楽を皆に認めさせてやるんじゃい。

 

全く関係ないですが、諸事情で坊主頭になりました。

意外と似合っているそうです。 

といったところで取り留めのないブログは今日はこの辺で。

王様達のヴァイキング、めちゃ面白いので読んでみてネ☆