怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

6/9

日記は毎日続けることに意味がある。

今日はダメな一日だった。特に何かをインプットしたわけでもアウトプットしたわけでもなく終わってしまった。

何もしていない。

かろうじて結婚式二次会余興バンドの練習に参加し、最近の自分の考えを一方的に聞かせることで思考を整理するタイミングがあった。

かろうじてよかった。かろうじて。大学の同期には感謝せざるを得ない。

 

やっぱね、場所だと思うの。

作業スペース。それ用の場所を作らないと出来ないタイプなの私。

その場所に行ったらもう作詞とメロディ作りしかしないぞ!っていう場所を作るべきなんだと思うの。

明らかに全体の制作ペースを遅くしてるんだもの。だぁめだこりゃ。

 

駅からの帰り道、金髪ショーパンの姉ちゃんが小さい赤ちゃんを抱えて早足で通り過ぎて行った。

多分若いママなのだろう。子育てはたいへんだろうなあ。何より自分の時間が無さそう。

現代社会では時間は資産と捉えられがちで、齷齪と時間を気にして生きざるを得ない部分はどうしてもある。

というか、自分も時間は資産だと思っているし、無駄に使うことは避けたい。

 

しかし、そうとばかり考えていると生活が充実し辛くなるとも思う。

古い友人が以前、「大丈夫だよ池澤くん、時間は無限にあるんだ」と言っていた。

その時彼は比較的休みの多い仕事に就いていて、彼一流のジョークとしてそう言ったであろうことは容易に想像出来る。

それを聞いた時僕は、純粋に「いい言葉だな」と思った。

 

時間を気にしすぎると、どんな些細なことでも他人に時間をとられるのが嫌になる危険性がある。

例えばコンビニのレジで手際が悪い店員に怒鳴る、だとか。

デジタル機器の故障や紛失に関して問い合わせたいのに窓口に電話してもいつまで経っても繋がらない、やっと繋がった瞬間に怒鳴る、だとか。

心に余裕がある人間は、時間かお金に余裕があることが多いのではないか。

そしてなぜそのいずれかに余裕があるかと言えば、多くの場合何かの努力が結実したからではないか。

まあ僕は時間には余裕あるけど努力が結実したわけではないですけどね。

 

時間が大事だからといって、例えば今日帰り道に若いねーちゃんと擦れ違って子育てたいへんだなあとか、多分同い年ぐらいの頃は遊びほうけてたなあとか考えながら、少し増えてきた湿気と金木犀の臭いに6月の気候を感じてゆらゆら歩いていく時間のことを無駄だと感じる生活はしたくないと思うわけです。

 

焦りつつも、毎日を大事に生きていきたいところだ。

まずは1にも2にも楽曲作りだ。メリハリだ。無駄な一日を過ごすのならとことん無駄に過ごして充実していたと思えなければダメだ。

 

紫陽花が咲き始めましたね。私、花の中では紫陽花が一番好きです。

どこかに見に行く機会があったらいいな。

では今日はこの辺で。