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日記は(なるべく)毎日続けることに意味がある。
家で座った状態で作業を続けていると首がマジで痛くなるという結論に辿り着いた。
あとちょっとで完成するしなぁ〜体勢変えるのめんどくさいしなぁ〜の継続により首が痛くなる。
痛くなるとマジで痛い。もうほんとに痛い。リアルに首が回らなくなる。
寝てても痛い。寝返り打っても痛い。起き上がるときも痛い。
そうなってくるとかなり鬱っぽくというか、テンションが下がる。
普段健康体でいられることがいかにありがたいかということがわかる。
毎日継続的かつちょっとした、或いは大きな痛みと闘うというのは人の精神をかなり蝕んでいくものなのだと思う。
祖母が亡くなったのは膵臓癌が原因だった。
晩年はきっととても痛かったことだろう。モルヒネなども使っていて、最期の方は割と何を喋っているのかわからない時もあった。
相当なストレスを抱えていたことだろう。
その状態にある祖母を介護していた両親の苦労も察してあまりある。
当時は両親と折り合い悪く、話を聞くことも連絡を取ることもしなかった。
久しぶりに会う母がどんどん愚痴っぽくなっていって、しかもそれが祖母の話だったりして、おばあちゃん子だった自分にとっては聞きたいとはとても言えないような話だった。
今思えば、母の話もちゃんと聞いてあげるべきだったと思う。
親も普通の人間なんですよね。
我々人類は想像することが出来る。
相手がどんな気持ちなのか。何をしたら嫌だろうか。
自分には理解出来ないけど、こういう感覚なのかもしれない。
別の話に置き換えてみれば理解出来るかもしれない。
そうやって他人の気持ちを類推することが出来るわけです。
僕はそういう理性的な部分というのが好きだ。
行き過ぎてしまえば何だってよくないけれど、相手のことを想像するというのは何か良い。
これをあげたら喜ぶだろう、これをしたら怒るだろうなと。
他者あっての感情というのは何か特別な気がする。
なるべく他人に優しくありたいと思う。
自分は出来ないことだらけの人間で、それ甘んじて良しとしてくれる人がたくさんいる。
そこに存在する優しさを想像すれば、当然の帰結なのではなかろうか。
超適当に久しぶりにブログ書いたら何かいいこと言ってる風になった。
オレカッケエー。
まあつまり、肩が凝らない分首が痛くなるということがわかったので作業の際の姿勢には気を付けていこうと思う。
ところでマルちゃん正麺のとんこつ味がマジでヤバい。
うまい。アレがあればチェーン系のとんこつラーメン屋いらない気すらしてくる。
博多風龍とかそういうやつ。驚くほどにうまい。
けどやっぱり作るのがめんどくさいから店に行ってしまうんだろうな。
秋が終わりかけてるのに秋の曲は完成しない。鬱だ。
じゃあ今日はこの辺で。