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高校生の頃、出身大学を見学しに行ったことがある。
長野に住んでいた一般的な高校生の僕にとって、東京は一定憧れがあった。
大学を見学しに行くという体を取ればそこそこ東京で遊ぶことが出来るだろうという目算があった。
既に上京していた友人と東京で会う約束をして見て回った。
不思議と楽しかった思い出はない。
色々あって有り金を失った。決していかがわしい店でどうだとかカツアゲされたとかそういう話ではなく、本来持っているはずのものを失って、若かった僕はそこそこ動揺した。
それでも一応大学の見学には行った。
その時まさに大学祭が行われていて、南大沢は賑わっていた。
今にしてみれば大学生のガキどもがワイワイしているだけのごくごく一般的なその催しは、路銀もなく友人もいない若干18歳田舎育ちのさらなるガキからしてみれば、それはそれは心細さを喚起させるものだった。
当たり前のことだが、インターネット黎明期が若干過ぎ去った頃、BBS(死語)などで趣味について語り合っていた地方のマセガキの音楽リテラシーは低い。
そこそこ大学祭の野外ステージやジャズ研の演奏に感銘を受け期待を抱き、大学を後にしたのを覚えている。
そして帰り際、止めでも刺されるかのように携帯が壊れた。
疲れと絶望とは裏腹にどうにもならないまま長野駅に着いて、何とか親に連絡を取ると父が迎えに来た。
父は僕の一連の失敗を咎めた。
というのも、そもそもこの旅は初めからうまくいっていなかった。
僕の準備があまりにずさんだったため。長野発東京行きの高速バスに乗るためには、父が駅まで送る車は法定速度を超えて急がなければならなかった。
それ故行きの車の中の空気は気まずかったし、必要以上に急いだ結果、父の運転する車は急に飛び出してきた小学生の女の子と接触してしまう結果となった。
その小学生の女の子が、急いでいるしなるべく迅速に対処したい我ら親子の意志とは完全に裏腹に、外界との接触を絶つかのように、何かわけのわからないことを言いながらブレイクダンスのような動きを取っていたのをかすかに覚えている。
小学生なんてそんなもんなんだろう。
僕はその時自分以外の全てを憎んでいたような気がする。
父が焦って彼女を道路の外に連れて行こうとして、それを彼女が嫌がるのを見ている時間、その分だけ後ろで並んでいる車は増えていく。
僕が東京行きのバスに乗れる可能性も下がっていく。
誰かのせいにすることしか出来なかった。原因を自分以外に求めることしか出来なかった。
一番わかりやすい対象が彼女だった。
今も覚えているくらいだから、その彼女に対する憎悪はかなり大きかったのだと思う。
結局バスには間に合ったがそんな出来事があったから、東京への旅路には暗雲立ち込めていたし、実際うまくいかなかった。
(誤解されそうだから付け加えておくと父はその件に関して法的な罰など受ける立場にはなかった)
帰って来る頃の僕は心身共に疲弊していて、その頃の自分を取り巻く環境も相まって、本当に最悪の気分だったことを覚えている。
しかもそれを父のせいにしようとしていたような気がしている。
今思えば父は単純に子を想い、息子である自分に何かあったらどうするんだと咎めたかったのだと思う。
しかしその思いは不出来な息子にはまるで伝わっていなかった。
それどころか反発心を煽る結果となっていた。
腹に据えかねる、ぶつけどころのない怒りを抱えつつ家に帰ると、母はビーフシチューを作って待っていた。
母が聡明だったと思うところは、何も言わずにまず黙ってビーフシチューを出す。
そして何かこちらが喋り出すのを待つ。或いは強気に出ずに諭すようにこちらの話し出すのを待ったところだった。
ずっと泣きそうだったのを今でも覚えている。誰に何をぶつけていいのかわからなかった。
ぶつけることを恥なのではないかとも感じていた。
大学を卒業して東京で働く姉は、良い給料をもらいつつも久々に会う弟にとんかつをおごりながら、それでも今の家族の状況を憂いていた。
その当時、我々家族の中に、現状を冷静に分析してもっとも効果的な施策を捻り出し実施出来るような人間は一人もいなかった。
池澤家はみんな情が深い。そしていい意味でも悪い意味でも、日本の一般的な家庭の一つだった。
故に論理のみでひた走るようなことは誰にも出来なかった。
僕もまた、その姉の話を聞いたり家族が苦悩しているのをみて、高校生なりに考え苦しみ、屈折し続けていた。
ビーフシチューは特に好物ではない。
自分が料理を今も楽しめるのはきっと母の料理及び教育があったからだと思っているが、母の料理一品一品に特別深い思い出があるわけではない。
けれど、この時出てきたのがビーフシチューだったというのは今でも鮮烈に、明確に覚えている。
そのビーフシチューを食べながら、母に一体どんなことがあって何を感じたのか話そうとした時、居間でテレビを見ていた父がこちらに来てまた小言をひとくさり言った。
正直限界だった。
そこそこ内気でアーティスティックな上に純粋で繊細(笑)な池澤少年にとって、それは我慢出来る状況ではなかった。
父に何か汚い言葉をかけて、ビーフシチューを食べるのもやめて、部屋に戻って一人で泣いた。
あの時のあの気持ち、部屋の家具の位置、気温、そういった一つ一つを今でもはっきりと思い出せるのだから、人間の記憶能力というのは侮れない。
泣き腫らしていると母が入ってきて、父を擁護する。
何なんだこの地獄絵図は。
恐らく今ぐらいの客観性を持って接していられれば僕はそう感想を持っただろう。
何をどうすればいいのか本当にわからなかった。
自分は一体何で生きているのか、親は何を楽しみに生きているのか。
みんな一体どうして大学に行くのか。
勉強しているやつらが誰も楽しそうに見えなかった。
自分の居場所は放課後、誰よりも早く向かったクラブ練習室と、真夜中友人と遊び狂うあの空間だけだった。
そう思いながら暮らしていた高校生活を、なぜかビーフシチューたった一つで思い出す。
青年だか中年だかになった池澤くんからすれば、池澤少年の苦悩は到底共感出来るような話ではない。
人は自分の立つ場所によって、想像すら奪われる。のかもしれない。
と、いうようなショートストーリーが今お酒を飲んでいたら思い浮かんだよおおおおアヒイイイイイイ
明日も元気に曲作ろうねエエエエエエエエエエエエ