怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

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先週末は珍しくキャラに似つかわしくない遊び方をした。

土曜の夜に表参道へ向かい、屋台村的なチルプレイスで飲酒、その後カフェとは名ばかりのグッドチルプレイスへ足を運びグッドなビートとナイスなピーポーとコミュニケイションし、気付けばその足で渋谷のクラブへ。

深夜のクラブなどほぼ初めてである。

しかも知り合いがその日初めて会った人しかいない。

たまに発揮される謎の行動力。要するに寂しがりなのだ。

 

なんだかんだ朝までうろちょろし、テクノのストイックさに畏敬と戸惑いが入り混じった思いを抱く。

日曜も遊びの約束があったためそのまま渋谷の漫画喫茶で仮眠を取ろうとすると、始発が出ている時間帯にも関わらず漫画喫茶は満員で1時間待ち。

待合場所があるわけでもなく、通路に簡素な椅子が置いてある。

外で待っているのではカウントされないので、呼ばれるまでそこで待っていてくれとのこと。

見れば二人ほど、通路で横になって寝ている。雑魚寝である。

漫画喫茶の通路の床で、人が横になって寝ている。

あまりに見慣れない光景なので苦笑交じりにあれは大丈夫なのか、と問うて見たところ、「通路の邪魔にならなければ仕方ない」との返答が。

東京都内歓楽街の人口飽和とそれに伴い露呈している不快や限界突破、思考停止感の一端を目の当たりにした気がした。

無理めでも実害が実益を越えないと言うのは不思議だなと思った。

 

次の日は花見と言う遅すぎる名目の下、BBQに参加する。

二日酔いで大して酒は飲めず。

何やら良い雰囲気のお友達の皆さんとアヘアヘ言う。

その後普段は滅多に行くことのない、カラオケなるものへ行く。

 

何年ぶりになるかわからないくらい久々にカラオケに行ったが、歌と言うのはやはり疲れるものなのだと再認識させられた。

いつもライブを終えるとものすごく疲れるのだが、その疲れと同種のものをカラオケで歌った後に感じた。

アレは普段の運動不足とか体力がないからと言うのもあるが歌うことによって何か生命力のようなものがどこかから発散されているのが原因だなと思った。

しかし楽器のことやピッチのこと、モニターの状況など何も気にせずただ熱唱するというのは存外楽しかった。新しい発見である。

 

帰り道の電車の中、飲み会帰りの大学生か何かの団体が隣で会話をしていたのが耳に入った。

どう頑張って無視しようとしても聞こえてきてしまうその会話が非常に示唆に富んでいた。

うち一人の婦女子は電話で泣きながら話していた。

元彼と電話しているだとかで、彼女は復縁したいがそれは叶わない願いらしい。

隣で友達の婦女子が彼女を励ましていた。そこまでは普通だった。理解出来る。

恋愛は論理が感情を上回ることのない、いわゆる人間らしさが非常に強く際立つ側面を持つ。

メリットデメリットではないものだ。

彼の感情が彼女の方を向いていないのならば、それは言葉による説得で何をどうこう出来るものではない。

 

違和感があったのは、向かい側に立った男の態度だった。

彼はその彼女及びその元カップルが重ねた歳月や行為、それに伴う感情の機微を想像している素振り無しに、まるでバラエティ番組で少しきつめのドッキリをお見舞いして悪気無しに謝るかのような態度で適当な励ましを繰り返した。

 

「ドンマイドンマイ」

「男なんて他に山ほどいるよ」

「いいから荒野行動(スマホのゲーム)やろうぜ」

 

言葉で説明するのは非常に難しいが、隣で全力で小説に集中しようとする自分の心を乱すほどの不愉快さが彼の態度にはあった。

普段あまり何かにネガティブな感情を感じることは無い。

それ自体が興味を持っている、つまり関わろうとしているという意味であり、自身にとって損な行為だと考えるので意図して興味を持たないようにしているからである。

今になってはもう二度と会うことの無いであろうその彼らの会話とその後にさほど興味はないが、その彼の態度となぜ自分が不愉快に思ったか、には興味がある。

 

失恋は辛い。

言葉が心を越えない時というのが確実にあって、そういう時は何をするも適わない。

その虚しさは筆舌に尽くしがたいものがある。

あの時こうしていれば良かった、でなければどうすれば良かったのか。

考えても絶対に解決しない問題を思考だけが堂々巡りをする。

誰だってそういう時があるのではないか。

 

彼は本気で誰かこの人でなければならないと思う人物に心奪われたことが無いのだろうか?

これほど悲しそうに泣いている婦女子に対して、なぜそこまで軽薄な態度を取ることが出来るのだろうか?

人が涙を流すほどの状況を目の当たりにして、何とも思わないのだろうか? 

 

SNSが普及して以降、恥の可視化が促進されたように思う。

非常におっさんくさく頭の悪い妄想だが、失敗に不寛容で挑戦を恐れる国民性はそれによって助長され、ごくごく一般的な若い世代はさらにリスクを取らなくなっているのではないか。

その空気感が、彼から真剣さやうまくいかず悩む人を励ます心を育てる機会を奪い、失恋して泣く婦女子に対するへらへらした態度を作ったのではないか?

 

というところまで考えたのだが、自分も若い頃はそのぐらい適当だったのではないかと思い止まり、考え過ぎていることを戒めた。

きっと自分にだって、こいつ何で泣いてるんだろう、それより今遊びたいんだけど、などと思ってしまう時はある。

何より彼らは飲み会帰りで、楽しんでいる最中だったのだ。

 

それに結局は人それぞれであり、彼が本気で恋愛をしたところで自分と同じくらい泣いている婦女子を不憫に思うとは限らない。

人の気持ちを想像するという行為はスキルであり、出来る人と出来ない人がいる。

どちらが偉いということではなく、出来る人には優しい人が多いし出来ない人の方が秀でている分野もある。

自分が彼を不快に思ったのは、自分がしてはいけないと思っていることを彼があまりに当たり前にしていたからに過ぎない。

そこに正しい間違っているは存在しない。

 

ただ僕は地獄への道は想像力の欠如で構成されている、と思っている。

いつも思うことだが、今回また現実味を増したように感じた。

 

家路につき一晩寝て目が覚めてみると言いようのない虚しさに襲われた。

そろそろ曲をちゃんと作らねばならない。

それぞれの人にそれぞれの営みがあり葛藤がある。

自分は自分の、営みと葛藤を繰り返さねばならない。

なぜだか知らないが、自分の思考回路はそういう風に出来ている。

 

本日のおべんちゃらは以上。