怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

4/13

母、襲来。

 

昼、チャイムの音で目が醒める。

宅急便は頼んでいない。

こんな平日の昼間にやって来るのは新聞か宗教の勧誘かだ。

昨日も遅かった。無視して寝ることにした。

 

チャイムが鳴り止まない。

どう考えてもおかしいレベルで鳴り止まない。

大家か隣人から何かの苦情だろうか?

(以前別の物件で大家が「大家!」と叫びながらドアを叩き続けると言う事案があった)

 

と思い、iPadを見てみると、母からの着信。

 

そう、今日は母が長野から来る約束があった。

定期的に東京に来ているらしく、今回は事前に行くから会いましょうと連絡をもらっていた。

10時に集合で、とも言われていた。繰り返すが、その時点で昼である。

 

母、憤慨。

これを読んでいる皆さんの想像のおよそ5〜10倍の小言を頂きました。

10:0で自分が悪い時、相手をなだめるのは本当に難しい。

ただ自分も本当に申し訳ないと思っていて、弁解の余地とか一個も無く本当に忘れていただけで、しかもたまにやってしまうタイプのやらかしが最悪のタイミングでやって来た。

管理能力の欠如に関しては、ちょっとそろそろ本気で改善に向けて取り組んでいかねばならない。

 

何より、時間を奪ったと言うことと心理的な圧迫をしてしまったと言うことが申し訳ない。

もののついでとはいえ息子に会うため朝から東京まで来て、一人で何度も電話して待って、連絡が取れないものだからわざわざ自宅まで突き止めてインターホンを鳴らしに来るまでの母の心境の変化を想像すると、ああああと声が出てしまう。

 

ひたすらに謝ってお昼をご馳走し許してもらったが、大事な用事なのに頭からぶっ飛んでしまうことは他の人と比べて結構ある方だと自覚している。

今日なんかGoogleカレンダーにも予定入ってたのに忘れていた。

どうにかしないとまずい。

 

予期せず母から高齢化するニート問題への言及を受けた。

僕は偶然ネットに上がっていたドキュメントを見て知ったのだが、かなりの生き地獄的な世界観がそこにはあった。

職能を得ることが出来ず、実績も収入も無いまま両親の収入をあてに引きこもり続ける40代、50代。

それを見てまるで他人事では無いなと肝を冷やしたのを覚えている。

母の周辺でも話題になっているらしく、自分もそうなるのではないか、そうなっても助けてやれないと心配された。

まあそりゃ心配するよな、と思う。

 

家族には積極的に自分がやっている音楽を聞かせたことはない。

照れ臭いし、一度も応援されたことはないし、家族の中で音楽マニアなのは自分だけだと思っているから。

音楽で喜びを共有出来ないのなら、他のことを一緒に楽しめばいい。

 

けどそれがどうやら31歳にもなって何をしてるかもわからない、先行き不安な不肖の息子像を作ってしまっているらしい。

まあ、大体は想像の通りなんだけど。

母からは「普通そのぐらいの年だったら」という言い方が頻出した。

 

自分が普通ではないというのは重々承知の上だが、「普通」という言葉はかなり定義が曖昧で想像力を奪う同調圧力的な言葉だと思っている。

非正規雇用者や低収入者が増える社会において、「普通」とは何か?は所属する環境によっても変わってくる。

もし社会全体の「普通」を定義しようとするならば、過半数を越える数の賛同がある価値観を「普通」とすべきだ。

それ、ゆくゆくは高齢者の常識が日本の常識になってしまわないか?

一方で世の中全体では一部の金持ちと残りの貧乏人という形が出来ているとして、じゃあ貧乏人の価値観が「普通」ということになるのか?

安心を「普通」という言葉で買うような使い方はなるべく避けたいものだと思った。

が、自分の生き方が普通でないことは誰の目にも明らかなので、そのメリットを享受する以上、デメリットも甘んじて受け入れなければならない。

何よりも、我が母が31歳ニートの息子を心配するのは地球が自転するのと同じくらい当たり前のことである。

 

ただ一つ強く思うのは、世の中に影響を与えたり人を感動させる何かを作るような人が「普通」であったことなど一度もないだろうということ。

今日のブログだって、1,2年後には熱心なファンにディグされて「あのSUKISHAもこんなこと言ってる時代があったんだなあ」なんて言われるようになると僕は信じて疑っていない。

何も動じることなんてない。平常運転です。

早く両親を安心させて世界旅行に連れてってやりたい。ので今日も新曲を作る。

新曲作りがマジで難航中でしんどい。

 

本日のおべんちゃらは以上。