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ここ最近、食の楽しみを謳歌しすぎた感があり、多少太った。
ので、筋トレ及びダイエット活動を始めようと思う。
別に食を楽しむことも太ることも大した問題だとは思っていない。
いないのだが、先日ライブ会場で話した共演者のお客さんが、トレーナーやら整体師をやっているらしく自分の体型を見てどう思うか聞いてみた。
日がな一日している仕事の話を職務を終えてやってきている人に振ると言うのも心苦し具はあるものの、好奇心には勝てないのが人の性である。
曰く、
「筋力無さそう」
「骨格歪んでそう」
「腰痛いって言ってそう」
「下っ腹出てそう」
とのことである。
黙れ!その通りで何が悪い!!!
と思いつつ、最近とんでもない体勢で曲を作ったりしている自分を考えると、これはずっと続けていくとまずいのではないか?とどうしても危惧してしまうのも事実。
以前にも何度かダイエットはしたことがある。
満足するほどオシャレに金を使っていないまま太りたくないと思っていたからだ。
僕の生活において、オシャレは優先順位が低い。
最悪生きていくのに必要がないからだ。
ニート生活も随分長くなってきた(最近そろそろニート名乗るのやめればと色んな人に言われる)が、それ以前から服にはあまりお金をかけることはなかった。
かと言って、オシャレしたいかと言えばそれはしたい。いつかしたいとは思っている。
往々にして、何かを十分に楽しんでいないまま手に入らなくなると後悔するものだ。
それをわかっていたのでいつかオシャレする時のために痩せようと思い、当時は実際痩せた。
今は服の好みも随分変わったので、別に太ったところでオシャレなどいくらでも出来ると感じている。
重要なのは筋力不足が深刻なレベルまできていることだ。
そして筋トレの効能を僕は既に知っている。
世の中の楽しみは消費・共有・生産の三つに分けられると言う持論に関しては以前書いたことがあると記憶している。
筋トレはこの三つの中で言えば明らかに生産で、その特徴として「面倒な上にしばらく我慢して続けないと効果が出ない」ことが挙げられる。
だがしかし、続けてさえいれば必ず結果が付いてくる上に、それがこの上ない快感であるのも特徴だ。
筋トレは恐らく、生産的な活動の中でも最も敷居が低い。
他のアクティビティを考えると、どうしても才能やセンスが必要になる場合が多い。
例えば音楽。音感が無ければその分だけ苦労は多くなる。敷居は低くはないだろう。
絵画や映像、文化的なアクティビティになればなるだけセンスを問われることになる。
その点筋トレはシンプルだ。
スポーツや球技などのように多角的な動きは必要ない。頭を使う必要もない。
グラウンドや体育館を借りる必要も、スポーツ用品を買い揃える必要もない。
その上ちゃんと継続して続ければ必ず結果が付いてくる。
頑張りが可視化されると言うのは非常に重要なことだ。
僕は自分を脳内麻薬の中毒者だと思っている。
なぜ音楽を作っているかと言えば、完成した時の気分が最高だからだ。
明らかに脳から何かが出ている。
自分で作った曲を何度も聴いてアヘつくのなど日常茶飯事である。
筋トレマニアが鏡の前でポージングすることと何も差はない。
普段の腰痛やヤバい体勢が改善され、しかも脳内麻薬を味わえると言うのであれば、やらない理由などないではないか。
何年かに一度来る筋トレの季節がまたやってきたようだ。
いつもはダイエットする時は有酸素運動を取り入れるのだが、今回は純粋な好奇心から糖質制限をしてみることに決めた。
もうすぐ一週間が経過するが、炭水化物のありがたさには頭が下がる思いである。
肉を毎日食べると言うのは、なかなかに攻撃的で暴力的な活動だと感じている。
食べてみればうまいのだが胃腸的にもしんどいし何か疲れる。
白米やパン、麺類の優しさ、ありがたさを再確認せざるを得ない。
効果が出るまで続けてみようと思うのでとりあえず1ヶ月続けてみようと思うが、さてどうなることやら。
筋トレは友人に腹筋ローラーをもらったので今日から始めてみたが、腹筋よりも背筋と腕の筋肉が絶望的にないことに気付く。
二の腕あたりがプルップルである。
千里の道も一歩から。俺たちの戦いはまだ始まったばかりだぜ。
ところでCDの制作だが、最後の最後のツメがマジで迷路。
JASRACマークを盤面に入れるだとか、入れたら今度ジャケットにも入れる必要があるだとか、重箱の隅をつつくような作業に気が狂ってしまいそうである。
もういい加減、本当に、いい加減にCDをプレスさせてくれ。
色んな人に「まだですか」と言われるのだが、僕が一番思っていると言うことをこの場で主張させて欲しい。
そんな具合にGWが過ぎ去っていったが、僕の日常はいつも通りです。
梅雨が始まる前に一度実家に帰りたい。
本日のおべんちゃらは以上。