怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

5/21

人類最大の敵は果たして何か。

古谷実先生の初期作品が好きで、特に「僕といっしょ」「グリーンヒル」「ヒミズ」辺りはやはり何度読んでも面白いなと思う。

特にグリーンヒルが大好きで、その作中で主人公が「人類最大の敵"めんどくさい"とどう戦っていくか考えなきゃなあ」というようなことを言う。

もっと若かった、仕事とは、働くとは何か、社会とは何かと言うことが当たり前にわかっていなかった、普通の学生だった頃の自分は、古谷実作品に少なくない影響を受けていた。

だから、僕も人類最大の敵は「めんどくさい」なのだと思っていた。

しかし最近、それはちょっと違うのではないかと思い始めた。

 

実は「めんどくさい」と言うやつは、恐らく毎日仕事をしている皆さんならばわかってもらえると思うのだが、責任感や報酬を与えることで克服出来る。

一人ではめんどくさくてやらないことは、他者に頼りにされたり、他者から圧力をかけられることによって案外出来てしまうものだ。

大量のサラリーマンの皆さんが毎日満員電車に揺られて通勤することがある意味では証左と言っても良いだろう。

やりたくなくても、好きなことではなくても、大体の人は責任と報酬を与えられればこなせてしまう。

 

では一体人類最大の敵は何なのか。

僕は最近、これは「うっかり」なのではないかと考えている。

うっかりから生じるミスは絶対に無くならない。

大事なことをうっかり伝え忘れるだけで、誰かの頑張りが完全に無駄になったり、誰かが本気で怒ったりする。

めんどくさいは回避出来るが、うっかりは回避出来ない。

 

しかも恐ろしいことに、うっかりは人を殺しさえする。

交通事故の多くはうっかりが原因だろうし、衝動的な殺人だって言ってしまえばうっかりに近いものがある。

我々は、うっかりしてしまうことが原因で奪ったり奪われたりしているのではないか。

 

そう考えたのも先日役所に行く用事があり、時間と曜日を確認し、片道一時間使って向かったのに閉まっていた、と言うことがあった。

ここ最近で一番腹が立ったし、どうしようもない気持ちになった。

しかも伝えた本人に悪気はない。怒ろうにも怒れない。役所にクレームつけようなどとも微塵も思わない。

徒労、と言う言葉が脳内を埋め尽くし、どこにぶつけて良いかもわからない暴力的な衝動が胸の内からとめどなく溢れてくる。

そんな状況、ここ最近本当になっていなかった。

僕は時間に余裕がある方だから良い、だがこれが別の人だったら一体どうなっていたか。

そう考えると、うっかりの恐ろしさは計り知れない。

この場合は確実に「めんどくさい」より「うっかり」の方が人を不幸にしている。

「誰もが最善を尽くしているはずなのに誰も幸せになれない」と言う状況は生じてしまうものなのだ。

 

このことに思い至って、こと国内においては「めんどくさい」よりも「うっかり」の方がよほど凶悪なのではないか?と考えた。

日本人は良くも悪くも真面目な人が多く、「ちゃんとせねばならない」「まともに生きねばならない」と思っている人が多い。

その心持ちから考えても、「めんどくさい」に対する耐性は高いのではないか。

一方で、他者の「うっかり」を被ったり目の当たりにすると、ある種病的なまでにディスり始めると言う特性もあるように思う。

「自分はそんなミスはしないし、世の中もちゃんとしているのだからミスは責められるだけの理由がある」

そう思っている人が多いのではないだろうか。

人の失敗に不寛容なのは、「めんどくさい」に頑張って勝ちすぎているからなのではないだろうか。

 

心理学の用語には「他者信頼」と言う言葉があるそうだ。

これは誰でも善人として信じて生きていきましょうねと言う意味ではないらしく、「お互いが不完全であると言う前提に立つ」ことを意味するらしい。

この価値観に僕は非常に強く共感を覚える。

誰だってミスはする。ミスをした人間を吊るし上げることは、仮に自分がミスをした時にも吊るし上げて良いですよ、と言っているのと同義だ。

コードギアスルルーシュくんが「撃って良いのは撃たれる覚悟があるやつだけだ」と言っている。ならば誰も撃とうとしなければ良い。そう言うことだろう。

 

だって本当は誰も撃たれたくなんかないでしょう?

「自分はミスなんかしないから大丈夫」って思ってる?

敷かれたレールの上でなるべく失敗しないように気をつけながら、失敗したやつをせせり笑って生きていくことが果たして幸せなのか?

やったことがないからわからないものと比べて、今の幸福度が高い低いと語ることは出来ない。なのに自分の幸せはこれだと信じたがるのは、失敗した時救済手段が存在しないからだろう。

皆で救済してやりゃ良いじゃん。自分だってとんでもないミスすることあるんだからさ。

誰だって不完全なんだからさ、そりゃ怒っちゃう時もあると思うけど、おおらかでいたいよね。

挑戦無くして成功も失敗も無い。失敗を責めるようでは成功も抑制してしまう。

 

「うっかり」に勝つのは寛容さではないかと思う。

聖書のこともキリストのことも大して知らないが、「罪の女」と言う一説で、罪を犯した女に対して人々が石を投げる場面でキリストがこんなことを言うそうだ。

 

あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。

 

全く言い得て妙だ。

地獄への道は想像力の欠如によって構成されている。

失敗に不寛容な社会、その先の道はもしかしたら地獄へ続いているんじゃないだろうか。

願わくば、全ての人が「めんどくさい」に意志の力で打ち勝ち、他者の「うっかり」を容認出来ますように。

久しぶりにグリーンヒルを読み直そうか。

むしろ古谷実先生の最近の著作を読まねばならないな。

 

本日のおべんちゃらは以上。