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twitterやnoteの運用について。
自分がどうやって音楽活動を始めて今どうやって生きているかとか、これからアーティスト・ミュージシャンとしてやっていきたい人たちに有意義なことを発信していきたい。
ただそれはいわゆるソロプロジェクトであるSUKISHAのやるべきことではないと思うので、別でアカウントでも作ろうかと思っている。
今SUKISHAの活動を見てくれてる人たちと、その知識を見たい人は多分層が被りづらいから。
前者は純粋な音楽活動の情報が欲しいはずで、余計なことは言わない方が彼彼女らにとっても、自分にとっても健全。
後者はもしかしたら中には自分の音楽が好きと言ってくれる人もいるかもしれないけど、どちらかというと自分の活動に利用したい、若しくは共感するとか別分野の仕事人が興味を持って読むかもしれない。
最近そういうものなのかもな、と受け入れ始めたが、「アーティスト的な創作」と「ビジネス的な意識の共有や啓蒙」、この二つはあまり印象の相性がよろしくないらしい。
音楽至上主義の僕は音さえよければ何を言っていようが構わないのだが(と言うか言動がウザければYouTubeやサウンドクラウドだけ通知が来るようにして言動部分はミュートしておけばいい)、世の中的には言動がアーティスト性を損なう場合がある、と考える人は少なくないらしい。
でなんでその点がこれまで強情に認めていなかったのにちょっと認める気になったかというと、
僕はフリースタイルラップバトルを割とずっと楽しく拝見していて、それ自体はどちらかというとリズムに乗ってうまいことを言う、方向性の違う笑点的なコンテンツとして見てるんだけど、その中でも最近、お、この彼いいなと思うラッパーがいたと。
でどんな人間なのか気になったのでGoogleで検索してみたら一番にtwitterが出てきて、見てみるとひたすら質問箱に来てる質問に答えまくっていたと。
ハチャメチャにだせーなと思ってしまったんですよ。
現場でリアルな心情をビビらず吐露する、みたいなスタンスでストイックにラップする姿と、質問箱にひたすら返答し続けて承認欲求を存分に満たしつつフレンドリーにファンとコミュニケーションする姿とのギャップにまるでヒップホップ要素を感じなくて。
「コンテンツと人格は別で判断すべきだ」とか言っておいて、自分ですら音楽に近いコンテンツ(僕はフリースタイルバトルを音楽的とはあまり思っていません)でさえも、別で判断出来ていない。
ましてや、その前提について歯牙にかけたことすらない人たちにその思想が通用するはずも刺さるはずもない。
なるほど、そりゃ無理だ、と思うと同時に、自分は果たしてどうだろうか?と思ったんですよね。
そんで、これまでの自分のネット上での言動とかが人からどう写っていたのかとか考えた結果、もうSUKISHAと言う活動では余計なことは言わず作品を発表していくだけにしようかなと言う結論に至りました。
twitter上に残った情報から人柄を判断されたくないって感じでしょうか。
プラットフォームの性質上、自分が伝えたいことを完全に伝えるのは無理だと感じるので。
ただ、僕のことをよくご存知な方々はわかると思うんですが、僕はとてもよく喋るし思ったことや仮説を誰かに話したくて仕方ない人間なんです。
それが出来ない状態は比較的息苦しく感じてしまう。
SNS自体は割と好きだし見てるし、好きなことを好きな時に手軽に発信はしたい。
それに、ずっと前から思ってるけど、自分は変なこだわりや強情さが取れなくてここまで来るのに随分遠回りしてしまった。
全員がそうとは言わないけど、不器用に頑張っているアーティストと言うのはやっぱりたくさんいるし、その中で光るものを持ってる人たちが、その不器用さゆえに少しやり方を考えれば変わるかもしれないのに燻ったままでいる状態と言うのがとても嫌なんです。
でもそう言う人たちは、アーティストゆえに強情さを曲げないことも多い。それは美徳でもある。
そんな人たちが、もしかしたら触れることで少し見識を改めてくれるかもしれない。
そう言う情報を出来れば僕はこれから発信していきたい。
これまでのやり方だけでは、ミュージシャン、アーティストと呼ばれる人たちは、これからもっとお金を稼ぐのが難しくなっていくと思います。
お金って仕事の対価で、仕事って何かと言うと他者の欲求を満たすこと。
音楽活動で他者の欲求を満たすには、好きな歌を歌い続けるよりも今あるスキルを切り売りする方がはるかに効率が良いです。
でも少し考え方さえ変えられれば、今は好きなことやって生きていくと言う考え方に非常に友好的な時代。
他のジャンルも何でもそうだけど、これまでの定義の垣根をどう越えるかと言うことがこれからはとても大事になっていく。
僕は本当に、ただ本当に運が良いだけだから、努力してる人たちを尊敬するし、厚かましいかもしれないけどそう言う人たちが幸せに生きていけるヒントに自分がなれたらとも思うんです。
たくさん失敗してきたからこそ、出来ない人たちの気持ちもわかる。
ただこれは、いつ始めるべきなのか?と言うのがわからないんですよね。
正直まだかなとは思ってる。
だって一応生きてはいけてるけど、アーティストとしての実績は乏しいから。
どうせならもっと説得力がある感じでやりたいと言う気持ちはある。
けど、今の状態からでもいいから自分の考えを主張しつつ、同時にそれを実行することで説得力も応援の輪も強めていく、それが今っぽい。と言う考え方もある。
どっちがいいんだろうなあと思いつつ、あと暇があまりないって言うのもあるよね。
音源作らないと俺が死ぬ。色んな意味で。
あとはあれだ、難しい言葉並べて意識高いたかーいってしてるとそう言う人しか読んでくれないから、小説とか小話風にして自分が言ってるんじゃないよ、これはフィクションだよーって感じを出すって言うのもやってみたいんだよね。
寓話とか絵本から始まって、教訓を混ぜ込んだエンターテインメントってやっぱりずっと消費者に支持され続けてるわけだし。
今じゃないのかなあ。
需要ありますか?とか聞きたくないし、聞かずにやることは決まってるけど始めたところで反応があまりないとモチベーション上がらなくてやる気なくなるし、結構難しい。
とりあえず今じゃない気がしてきた。
まあいいか。
多分これはもう少し考えてみるって言って放置して別のことやってるうちにそっちに夢中になってしばらくやらないやつだ。
本日のおべんちゃらは以上です。