怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

11/27

最近これから先の未来の幸福について考える機会が多い。

人が幸せ、喜びを感じる行動というのは大まかに分けて3つあるのではないかと思っている。

消費、生産、共有の3つ。

この3つを個別または同時多発的に行うことで、多くの人は幸せを感じるのではないかと。

 

食べることで例えるならば、

消費はそれこそ食事そのもの。レストランに出かけたり、ただコンビニで何か好きなものを買って食べるでも良い。シンプルな消費活動のことだ。

 

生産は料理。自分で食材を買ってきて、欲しいものを自分で作る。

 

そして共有は誰かとその食べ物を食べて感想を言い合ったりすることだ。

「おいしいね」でも良い、「もう少し甘めが好きかな」でも良い。

誰かと共有すること。これは結構人が喜びを感じるために大事な要素なんだと思う。

 

多分、多くの人は今消費に喜びを感じているんだと思う。

面白いマンガ、感動出来るドラマ、おしゃれな服、おいしいご飯。

そのためにお金を稼いだり、休日はどこかに出かけたりする。

 

これから先の未来、多分我々の仕事や諸々はAIやロボットがやってくれるようになっていく。

多分僕らは暇になる。すると暇を潰すためにより消費活動に勤しむようになる。

今の時代ですら、ほとんどコストをかけずに音楽や動画、マンガに書籍の蓄積を消費出来る。

下手すれば現状のアーカイブだけで一生を娯楽コンテンツの消費に費やせるのではないかとすら思える量の遊びで、この世界は満ちている。

 

だが、慣れは人を腐らせる。

恐らく仕事が無くなり、消費活動だけを求めるようになると、人々は消費にすら飽きてしまう。

さらに言えば、何か一つのことを好きでい続けるのも才能の一つだから、ずっとコンテンツの消費に時間を割ける人もそんなにいないだろう。

 

きっとみんな悩み始める。

昔よく悩んでいたような、「自分は一体何がしたいのか」に代表される、アイデンティティ獲得の欲求みたいなものは、生きるか死ぬかの瀬戸際の時代や、文化が成熟する前はさほどなかったのではないかと思う。

文化が成熟して、生きることに必死である必要が無くなって、食べ物も娯楽も服も簡単に手に入るようになった時、どう感じるか?

僕はきっとみんなうまく言語化出来ない悩みを抱えると思う。

漠然とした退屈や達成感の欠如に、何か物足りなさを感じながら生きるような人が増えるのではないかと感じている。

 

そこで僕は生産的な趣味を持つことを強く提案したい。

本当に何でも良い。絵を書くでも、小説を書くでも音楽を作るでも。

それがハードルが高いというのなら自分の好きな何かについてブログを作って感想をアップするでも良い。

とにかく何かをアウトプットして、それを誰かと共有する活動。

それがこれから先人々を豊かにするのだと思う。

 

とても幸せなことに、文化の成熟・発展と共に「何かをクリエイトする」という行為のハードルは加速度的に下がっている。

音楽で例えていうならば、パソコンで作曲するいわゆるDTM(デスクトップミュージック)の世界には今無料のソフトが山ほどある。

パソコンさえあれば0円で始められる上、検索すれば使い方なんていくらでも出てくる。

歌いたければ安いマイクでも買ってくれば良い。始めるのにほとんど金はかからない。

 

音楽の話をさらにするならば、今の時代、「誰かがかつて作った曲の断片を何曲か別のところから持ってきてくっつけただけ」のものにすらオリジナリティが認められている。

いわゆるサンプリングという手法で、誰かが昔弾いたピアノ、誰かが昔叩いたドラム、誰かが昔弾いたベースをくっつけて、ラップするなりなんやかやしたものが普通に現代人のアートとして認められている。

もはや自分で作ってなくたっていい。ただ人が前に作ったものを混ぜて編集するだけでいい。

 

 

これからの未来は、多分僕らが「何かをクリエイトする」という行為が、歴史上で一番簡単になっていく。

そして知らない誰かと簡単に共有出来る。そんな素晴らしい時代がもう既にきている。

 

僕は本当に心の底から、多くの人に生産の楽しみ・喜びを知って欲しいと思っている。

本当に誰にでも出来ると思ってる。

なまじ色んな楽器が出来て本気で作っているものだから、「あなたには出来るんだろうけど普通は出来ないよ」なんて言われがちだけど、それは違う。

 

生産の特徴は、最初はちっとも面白くないことだ。

筋トレとかダイエットとかも生産だと思ってるんだけど、あの二つを代表例にするとわかりやすくて、最初は全然キツいだけで面白くないわけですよ。

でも我慢して続けていくと、あるタイミングで明らかな変化に気付く。

すると成果が見えて面白くなって、もっと頑張ろうと思えるようになる。

あとはもうその繰り返し。

何かを作る行為っていうのは全部そうだと思う。

その最初のハードルが存在しない人のことを「才能がある」と表現するんだろうし、多くの人はそこでつまずいてしまうんじゃないか。

けど諦めずにやりきってみれば、その先には本当に素晴らしい世界が広がっている。

 

やりきって出来上がった成果物っていうのは、どんなにショボかったとしても自分にとっての宝物になるし、その宝物のおかげで自分に自信も付く。

前より自分が好きになれる。

さらに生産の素晴らしい点は、あるジャンルに深く関わることで優劣などの違いがわかるようになることだ。

自分で作ってみて初めてわかることは驚くほど多い。

きっとそれまではわからなかった別の誰かの作品に感銘を受ける機会が増える。

友人はそれを「文化を愛でる心が育つ」と表現していた。

素晴らしいことだと思う。

 

僕は本当に社会不適合で音楽以外何も出来ないしニートでお金無いし毎月家賃どうするか悩んでるしカッツカツの生活をしてるけど、それでも今が人生で一番幸せだし楽しいって思える。

それはなんでかって、やっぱり生産し続けているからなんだと思うんです。

少しずつだけど確実に前進していく幸せを知ってもらえたら、きっと今より幸せな人が増えるんじゃないだろうか。

 

うまい下手っていうのはもちろんあると思う。かっこいいダサいも面白いつまらないもある。

けどそれってそれぞれの主観で判断されるものだから、自分が作ったものがダサいって言われたって気にする必要なんて全くない。

「ああこの人はセンスが無いんだな」くらいに思っておくか、「そりゃ趣味で作ってんだから」とか「今に見てろ」って思っておけば良い。

 

満場一致の駄作が出来たって、ヘコむ必要は無い。

 

いつかは自分も他の誰かを納得させられるものを作ってみせる。その過程を楽しむ。

そのぐらいのつもりでいればいい。

そのために、真剣な感想をくれる人のところに行こう。

そして何がダメなのか議論して、また一つそのジャンルを好きになればいい。

インターネットがくれた無限大のチャンスを活用しようじゃないか。

 

長々と書いてきたけど、今は本当に良い時代だと思っている。

気が付けばそこら中で、誰かが勝手に何かを作って発表している。

そんな未来が実現出来たら、きっと楽しい。

それを実現するための何かアクションが起こせたらなと、よく思います。

そんな話でした。

 

ところで去年イベントで酔っぱらっててダウンジャケットを捨てられてしまったので、冬を乗り切る防寒着が無い。

このままでは本格的に寒くなった時外に出られない。誰か余ってたらくれ。

越冬という絶対に負けられない戦いが今、始まる・・・。

 

本日のおべんちゃらは以上です。