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水曜日のダウンタウンと言う番組がある。
その番組の中で、以前「下層youtuber地獄説」と言うのが取り上げられていた。
要するに、求心力の低いyoutuberは身体を張るしかなく、コンテンツの作り込みも甘いので痛々しいだけで面白くもなく、故に再生数も伸びずと言う地獄的悪循環が続く、と言う現象を面白おかしくプレゼンするものだった。
当時それを見た僕は、「うわあ、こんな身体を張ってしかも面白くないことをしてまで、この芸風で有名になりたいのか。よくわからないけどみんな大変なんだなあ」と感じたものだった。
しかし、今になってみると、彼らがいかに心が強いかと言うのがわかる。
鈍感力がすごいのだ。
再生数二桁でも動画を作り続けると言うのは、なかなかに出来ることではない。
共演者しか見ている人がいないライブハウスで弾き語りをし続けるシンガーソングライターと同等か、それ以上の心臓の強さと言えるだろう。
今年は頑張るぞと決めて年始から曲を作り、それを動画にしてと言うのを始めたわけだが、そうすると数字がやはり気になり始める。
動画一つ一つの再生数もそうだが、チャンネル登録やフォロワー増を目指して始めたわけなので、それらも気になる。
ちなみに、それらは明確に増えている。
明らかに確実に増えているが、気になってしまう。
これは恐らく、必要以上に気合が入っているからだ。
無理をしている。
数値目標も設定していないくせに「頑張ったんだからもう少し報われてほしい」と言うような気持ちが少し浮かんできている。
これは良くない。
要因としては長期的視点を持って取り組むことが苦手であることが挙げられるだろう。
そもそも、年が明けて一週間。一週間やそこらで成果が出るわけもない。
わかりきっていることだ。しかも既に少しずつ成果が出ている。
これ以上何を望むと言うのか。
あとは慣れの問題もあるだろう。
それこそ寝る前に歯を磨くかのごとく、朝起きて猫に餌を与えるがごとく、手軽に一通りのタスクを終えるように慣れてしまえば、淡々と毎日作業をしていくだけだから。
まずは一ヶ月頑張ろうと、昨日考えて結論した。
それと同時に自分の武器みたいなものが対世の中的にいかに弱いかと言うことも実感している。
どう考えても可愛い女の子が商品紹介したり驚いたり笑ったりしてる方が楽しい。
まあ自分に出来るのはプロフェッショナル仕事の流儀の下位互換の下位互換くらいなものだが・・・。
テクノロジーが進化し、自分も相応に年を取り、世相が見えれば見えるだけ、人が深層心理で何を求めているかと言うのがわかってくる。
わかってはくるが、自分にはそれを満たす要件がない。
残念なことではあるが不満を言っていても意味はない。
努力を続けることでしか努力が報われることはない。
持論だが、人は誰かの努力が継続的に形になっていることを何度か違う場面で目の当たりにすると、初めは無関心だったものが3,4度目くらいで尊敬に変わる傾向にある、と考えている。
僕の曲作りが1曲から3曲、15曲から35曲になっている頃には、初めは冷めた目で見ていた人たちも「こいつすげえ」となっている寸法だ。
曲作りだけではなく、動画にも言えるはずだ。だから頑張ろう。
責任と金銭的対価を抜きにした時、人は面白いと感じることしか続けられない。
それを続けることが苦にならないことをある種の才能と呼ぶ。
僕に果たして才能があるのか、試される2019年の始まりである。
下層youtuberの鈍感力に乾杯。
本日のおべんちゃらは以上です。