怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

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割とよく言うことの中に

「地獄への道は想像力の欠如で構成されている」

とか、

「押し付けがましさが人から豊かさを奪う」

とかそう言うのがあるんだけど、

要するに今の時代、他人に期待しすぎない方がいいと言うことなのかもわかりませんね。

今の時代だからなのかは前の時代と先の時代のことがわからんから何とも言えないが。

 

「何言ってもきっと聞いてくれる」とか、「きっとわかってくれる、わかって欲しい」とか、そう言う感覚に無自覚なままで喋ってると、100%の相互理解が不可能な以上どこか歪になってしまう。

 

伊坂幸太郎の小説「死神の浮力」に「寛容は不寛容に対しても寛容であるべきか」と言う問いが出てくる。

僕は総論では寛容であるべきだと思うんだけど、無自覚に不寛容な人の、上述したような甘えや押し付けがましさ(に感じられてしまうもの)に寛容であろうとするのは難しい。

そもそもその場合の寛容さとは何だ?

同意は出来ないが何となく嘘でもいいから「わかるよ」と言ってあげること?

今のままでは本当の幸せに行き着くことは出来ないと思うから君のためを思って本音で言うとそれは違うと思うよ、と伝えること?

 

学校教育でマルバツで正解不正解切り分けることを学習させられてきた身だから、正解ってどうしても一つしかないような気がしてしまうけど、逆に明確に正解不正解が決まってる問題が頻出するのなんて高校生までだよな。

教養の下地としての机に向かう学習がまるで無駄ってことはないと思うけど、切り分けやすいテストで点数決めるって方式が多様性溢れる現代を生きるヒントとしてそぐわない気はしてる。

文科省の偉い人とか多分問題意識持って変えてこうとしてると思うけど。

 

要するに答えは接する人、喋る人によって違うと言う話で、天気やギャンブルみたいに条件によって変わるものに期待するなよと言う当たり前の話なのか。

 

世知辛く感じるかもしれないけど、そんなことはなくて、他人に期待しないとしても我々は与えることで人に喜んでもらうことが出来るし、喜びは伝播するしお返ししたくなるものだ。

だから期待なんかしなくても、いい人間関係を築けさえすれば手に余るほどの幸せがきっとやってくる。

 

あれ、ところでいい人間関係ってどんなでしたっけ?

さっぱりわかりませんね。

近所で気軽に飲みに行ける友人が欲しいものだ。

私は最近元気と元気じゃないの狭間を行ったり来たりしています。

 

本日のおべんちゃらは以上です。