怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

よく考えると人類は他人の妄想や思想にイイネし続けてきたんですね

イイネ!

昨日は渋谷guestでライブをしてきました。

集客に全力を注ごう、演奏も本気でやろうとか言っておいて全然客呼べませんでした。

これも偏に計画性と管理能力の欠如に因るものです。

毎回ライブ一ヶ月前には人を呼ぶようにせねばならぬと反省しては忘れるの繰り返し。

 

まるでテスト勉強のようだ。

テストになると比較的一生懸命に問題を解くが全然解けない。

でも考えるのは結構面白い。もうちょっと頑張ればもっと解けただろうに。

今度からはもうちょっとテスト勉強、というか日頃から勉強するようにしよう。

そう思うのも束の間、テストが終わると全力でだらけ始める。

大体学生の時はこうだった。中学も高校も大学も。

 

高校の頃の先生方は優秀な先生が多かったのだろうと感じる。

卒業の時配られる金鵄という冊子を何年か前に読んだ時思った。文集的なアレ。

みなさん凄く良いことを書いていらっしゃった気がする。どんなんだかは忘れたけども。

そんな先生方に見守られながら僕と言えば、それはもう盛大にサボり散らかし、屈折しまくった青春を送ったものだった。

 

そんな高校の頃、学年集会(今言葉に出すと何ともしみったれた響きだ)で先生方が勉学を生徒に促すタイミングがあった。

いつの時代も進学校の命題は何人の生徒を世間的に良いとされる大学へ輩出出来るか、であり、それは教師、保護者、そしてその保護者の下で生まれ育った子供達でさえも望んでいた未来であるかのようであった。

大方の人々によってそれは将来的には望んでいた現在になるはずだし、残りの少数に関しては様々な形があるだろう。

とはいえ、それらの中で僕にとって幸せだろうと納得出来るものはそこまで多くはないはずだ。

 

そう、そしてその学年集会(今言葉に出すと当時顔を出していたということが不思議になるくらい陳腐な響きだ)で先生が仰っていたのだ。

 

「東大に合格する生徒は大体が段取りが良い」

 

これである。

僕が本当に凄いな、と思う人は大体が努力を能力として具現化出来ている人々である。

僕みたいなのはむしろ、そういう意味では下の下である。

作った曲は偶然の産物であるようにしか感じていないし、毎度毎度これ以上良い曲が作れるのか、と恐れ戦いている(まあ作れちゃうのが性なんだけど)。

 

毎日毎日、コツコツ努力して、それに見合うだけの潜在能力もあって、そんでもっていつかしっかりした形にしちゃうみたいな人って、僕から見るとほんとすごい人ですねん。

大体が、毎日継続的な努力って絶対無理ですやん。

毎日同じことを決まった時間にやるのが本当に嫌いでして、僕はこれやらされてる感アレルギーと今名付けました。

このアレルギーに勝たなければこれ以上良い(と自分が感じる)演奏や音楽を具現化することは出来ないのだろうな、と思ってオリマス。

 

あぁ。死にたい(と思うぐらい何もしたくないし今やらなければならないこと全てから遠ざかってお酒飲んだり漫画読んだり眠ったりしていたいし、本当は死にたいなんて思ってもいない)。

 

もっと色んな人にちゃんとイイネ!って言われる様な演奏が出来る様に頑張りたいと思うように自分を洗脳して毎日努力する俺かっこいいってなる様に叱咤激励したい。

 

ということで次のライブは12/30下北沢Mona Recordsです。

クリスマスソングは今年は2回も演奏出来ました。好評です。

ムカつくから30もやっちゃおうかな。クリスマスでもないのに。

では今日はこの辺で。ごきげんよう。