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怠け者は今日も眠る

-ディスポエマーの日常-

5/13

昔好きだったというか、感銘を受けたバンドの映像をYouTubeで見たりすると、自分が当時とどう変わったかと言うのがよくわかる。

どんどんサウンド面を洗練させていくことを意識しているから、シンプルなアンサンブルを聞くと音を足したくなる。

昔好きだったバンドは、驚くくらい重なっている音が少ない。

自分は考えすぎていて、所謂こじらせという状況に陥っているのかとすら思う。実際こじらせているのかもしれない。

何かすごく俗っぽい言い方だな。

 

何年か前に「お前は一度良い音楽の追求とかいう迷いの森から出ろ」と言われたことがある。

音楽に良し悪しなんてなくて、好みでしかないよねって言われたこともある。

 

言ってることはわかる。けどそれは違う。

甲本ヒロトは言いました。

一番おいしい食べ物が一番売れてるものだとしたら、この世の中で一番おいしい食べ物はカップラーメンになってしまうと。

 

優れているかと、売れているかは必ずしも相関しない。

小説やマンガだって多分そうで、考えに考えて洗練させた重い文章が売れるとは限らない。

だけど言葉を尽くしたということに感銘を受ける人は絶対にいる。

そういう文化を愛でる心を僕は純粋に素晴らしいと思います。

音楽にだってそういう感覚があると信じています。

 

話は戻って、昔好きだった音楽が今はずいぶんシンプルに聞こえるという話だが、それは何で出てきたかというと、僕もずいぶん変わったんだなぁという風に言いたかったわけです。

佐藤秀峰先生が言ってました。

物語って言うのは、変化を綴るものなのだと。

確かにそうで、小説だろうが映画だろうが、何かの物語というのは必ず変化を描いているんだと思うんですよ。

そんでね、我々人類はみんな少しずつ変化していくものだと思うんですよ。

そしたら誰だってきっと物語になれるはずで、誰だって誰かのための楽しみになれるのではないか?

 

願わくば自分の変化が誰かにとって面白いものであればと思うし、誰かの変化を自分が楽しめればと思う。

だから僕の好きな人達には変化を恐れずにいて欲しいと思う。

僕はあなた方全ての変化を物語として楽しみたいんです。

それが所謂人生というやつで、本質的なエンターテイメントなんだと思っています。

 

変わることを恐れる必要なんて無い。

そう思いながら自分の信仰するものが根底から覆される危険性を感じるとどうしても物怖じしてしまうんだよなぁ。

全く人間って面白い生き物だネ!

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池澤寛行より皆様へ大切なお知らせ

ってタイトルにすると案外皆見てくれるって聞いたのでしてみた。

お知らせは実際あります。

 

シンガーソングライター・池澤寛行は本日を持って活動を終了します。

これまで販売していたCDは現在残っている分のみ、新たに生産はしません。

楽曲ももうライブでやることはありません。

 

今後はzawachomeと名乗りを変え(といってもほとんど変わってないけどネ)、トラックメイカー兼DJ兼マルチインストゥルメンタリスト的な存在になっていけたらと思っています。

やることは特に変わりません。

自分が良いと思う聴いたことの無い音楽を作って、世に発表するだけです。

 

全世界を踊らせに邁進して参ります。主に英語を使う人になります。

でもブログはたまに日本語で更新すると思うので見てやって下さい。

それではまたインターネットで会いましょう。

エンジョイユアゴールデンウィーク!

 

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4/27

覚悟はあるのか?

そう聞いてくるコンテンツをいくつか知ってる。

例えばジョジョ伊坂幸太郎

 

大体人が後悔するのは、覚悟が出来ていなかった時だ。

自分が行く道を決めてからうまくいかなかったからといってブツクサ言うやつというのは多くの場合において非常に見苦しい。

自己分析が出来ていない。説得と納得の違いをわかっていない。

そうならないために出来ることは、よく考えること。経験すること。そして覚悟を決めることだと思う。

たった一つの意見や経験則を誰かから授けられてそれだけを盲信することは危険だ。

実体験のみで語るには、この世界には会ったことの無い人種が多すぎる。

一度きりの人生でただ一つの正解だけを信じ続けるのは、少しもったいないのではないか。

世の中にはいくらだって自分の知らない正解が存在するわけだから。

自分の理解の範疇外で幸せそうにしてるやつなんて、いくらでもいる。

 

俺は覚悟が出来ている。音楽と心中する。

音楽は信仰であり、宗教だ。音楽になりたい。

 

例えば今、足が吹き飛んだとする。

両手があれば音楽は出来る。

 

例えば今、手が吹き飛んだとする。

クリックさえ出来れば音楽は作れる。

現代のテクノロジーに感謝。

 

例えば今、声が出なくなったとする。

世の中には幸運なことに素晴らしいボーカリストが山ほどいる。

適材適所と言うやつだ。

 

例えば今、目が見えなくなったとする。

むしろ他の感覚が鋭敏になる分能力を伸ばすチャンスだ。

素敵な音楽が作れそうだ。

 

例えば今、耳が聞こえなくなったとする。

ベートーベンに出来たんだから、今の時代なら作れるやつなんていっぱいいるだろ。

俺にだって出来る。むしろチャンスだ。

 

死ななきゃ音楽なんて一生出来るんだ。

出来ると信じてる。生きてさえいれば大丈夫。信じてさえいれば大丈夫。

 

覚悟はあるのかって?

あるに決まってるだろうが!!!

音楽が好きだ!!!

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4/26

出る杭は打たれるということわざがある。

要するに目立つと叩かれるぞというわけだ。

 

何故だかわからないが、自己主張が過ぎると諌められる場面と言うのは多々ある。

イキってるだとか、目立ちたがるなだとか、自重しろだとか言ってくる輩というのは、何故そういうことを言うかと考えてみると、要するに彼らが面白くないと感じているからだ。

面白いことをするにはもちろん訓練が必要だ。

僕だって初めて作った音楽が世界で五本指に入る傑作だったわけじゃない。

何だって初めはうまくいかないのが普通なんだ。

 

出る杭を打つ輩ってのは、つまりその訓練すら認めてくれないやつらのことだ。

何でそういう人らが生まれるかと言えば、自己主張をすることが恥ずかしいとか、その内容に自信を持てないとかそういう理由であることが多い印象を受ける。

結局それってやっかみじゃないのか?

自分に出来ない、やっちゃいけないって思ってることを平然とやってのけるやつに対する嫉妬とか、面白くないって負の感情を回りくどく伝えようとしてるだけじゃないのか?

 

そんなんで誰が幸せになれるんだろうか。

何でそんなにみんな自信が無いんだろうか。無くて得してるんだろうか。

何か作ってみたいとか、誰かに伝えてみたいって気持ちがどれだけ尊いかわかっていないのか。

 

少なくともどれだけダサかろうがまず音楽を作ったやつってのは前進してる。

面白くなかろうがジョークを考えついてみんなにそれを言って回るのも前進してるって俺は思う。

けどそれをプゲラッチョっつってただ嘲笑うやつってのは、何も産み出してないよ。ゼロだよ。

お笑いのことも全然好きではないし、ダサい音楽とかマジ無い方が良いと思ってるけど、それでも何も産み出さないより遥かにイケてるよ。

 

俺はそう思って今日も音楽を作るよ。

作ってみせますよ。

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4/21

例えば毎日連絡を取る相手がいるとして、

例えばまるで価値観の合わない人と酒を飲んだとして、

例えばそこで面白かったり面白くなかったりする話をすると、我々は潜在下で絶対に影響を受けていると思うんです。

 

それまでゼロだったものが、確実にゼロより大きくなっていると思うんです。

影響がゼロなんてことは有り得ないと思うんです。

ムカついたり感動したり、興味ないなと思ったり、そういうのが何一つ無駄ではないと思うんです。

 

僕は皆さんに会って話して、また一つ賢くなるんです。

最高にカッコイイsnarky puppyを生で見に行っても、ダサくて仕方が無いと感じる音楽を飲み屋で耳にしても、また一つ音楽が好きになるんです。

 

僕はよく喋る男です。

自己主張することでしか承認欲求を満たせない可哀想で愛すべきADHDの末っ子です。

そんな僕と話すことで、影響を受けたあなたが僕と同じ人間になることが有り得るでしょうか?

いいえ、有り得ません。

一人一人が、他人から知り得た情報、思想、姿勢を咀嚼し、消化分析して、そうして親や友人、そういったどんな関係性の人とも違うオリジナルな人格になっていくことを、僕はとても素晴らしく、面白いことだと思います。

 

コミュニケーションとは、人類に許された最も尊く面白い遊びの一つなのだ。

話そうぜ。語ろうぜ。自己主張しようぜ。影響し合おうぜ。

オチなんて無くて良い。結論なんて無くて良いんだぞ。

恥ずかしがるのはもうやめだ。俺達にはインターネットがあるじゃないか。

ウザいって言われて少しヘコんだら、ブルージャイアントの主人公みたいに「へでもねえや」って笑えば良い。

 

私は皆さんの味方です。

今日は酒しか飲まなかったな。明日から頑張ろう。明日からな。

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4/17

自分は恐らく善人なのだろうなと思う。

最近とみに思うのが、どんどん父親に似てきているということ。

実家にいた頃、母はいつも父が優しい、子供思いの人だと言っていた。

父は実際、母の要求にしっかり答える男だった。本当に祖父母の息子なのかと思うくらい、家事にもちゃんと参加していたなと今にして思う。

育ってきた環境はやはり自分に多大な影響を与えているのだろう。

そりゃ似てもくるわ。

 

父は善人だからこそ、きっとその人生に波乱をもたらしてしまったのだろう。

今僕はそれを責めることは出来ない。

かつては毛嫌いもしたし、ぶつけどころのない思いを引きずって思い切り投げつけて、誰も幸せになれないような最悪の瞬間だってあった。

ずいぶん屈折もしたし、そのことが無ければ違う人生もあったんだろう。

けれど気持ちはわかってしまうから。

今は両親ともに尊敬してる。不甲斐ないのは自分のみです。

 

どうしてこんな清々しい気持ちでいられるのかはわからないが、自分と関わる人には全て幸せであって欲しいと思う。

いつだって、皆の幸せな近況報告を待ってる。

けど自分が幸せに出来る人の数というのはやはり、限られているんだろうな。

どうしてそういう制限が出来てしまうのか、真剣に考えたい。

 

論理と感情の割合というのは人によって違うのだと最近思う。

僕はやはり感情の人なのだろう。

自分ではあんまり思っていないのに、繊細だとか、傷付きやすいと言われることはやっぱり多い。

好きでよく遊んでる人達とも価値観が合わなくて不思議に思うことも多い。

それでもやっぱり関わってくれる人皆のことが好きでいられるのは、100%論理でも100%感情でもない、ちゃんとバランス感覚を持った人達と一緒にいるからだ。

共存っていうのは、そのバランス感覚が自分と違うことをお互いに認め合うことから始まるんだと思う。

 

いつだって泣きそうなんだって顔したロックバンドのことは好きになれない。全然好きになれない。

けれど、その人達と、その人達を好きな人達のことを否定する気なんてさらさらない。

人類は皆、わかり合えなくていいんだよ。わかり合えないことを前提に、落としどころを見付けていくのが楽しいんだ。

俺のことなんて、理解出来なくていいんだよ。キモくていい。鬱陶しくていい。

 

我々はみな等しく、孤独な旅人なんだろうな。

最終的に独りであることを、そんなに寂しいとは思わなくなった。

別々でも良いから、一緒にいれば良いんだよ。

寂しい時は連絡ぐらいよこせよ。お前ら。

 

久しぶりにブログ書いたけど、やっぱ文章書くのって楽しいな。

僕は元気にやってます。

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マンガの話②

僕のジョバンニってマンガが面白い。

僕のジョバンニ 1 (フラワーコミックスアルファ)

僕のジョバンニ 1 (フラワーコミックスアルファ)

 

 

田舎で1人チェロを演奏する才能ある小学生鉄雄が、ある日難破船からの唯一の生き残りのハーフ日系人の少年郁未と出会って(恐らく)成長していく話。

穂積先生は式の前日やさよならソルシエなんかも読んでいて好きで、読む前から期待値は高かったけどやはり面白い。

人物への共感力というか、想像力がたくましいよね。

 

東京の大会で優勝しちゃうくらいには才能に恵まれ努力している小学生が他の子供から少し浮いてしまうのはある意味では当然で、鉄雄も自分が熱中している物と他の子が熱中している物が違うことに疎外感を感じていると。

例えば放課後みんながバスケをして遊んでるけど、突き指するから自分は出来ない、であるとか。

或いはみんなが夢中になっているゲームに自分は夢中になれない、であるとか。

 

こういうのって自分の小学生の時と比べてみても、わかる気はする。

俺は小学生の頃ドッジボールのチームに入っていて、そのチームは最高実績全国大会ベスト8程度にはガチだった。

みんなが入るというから自分も入ったけど、練習はキツいしめちゃくちゃ得意というわけではなかったのでさほど楽しくはなかった。

それとは別に合唱団にも入っていた。

その頃から音感はよかったので重宝はされたが、周りはみんな女子ばかり。

友達が熱中しているものはもっと別の物で、こちらも入ったは良いが楽しいとはあまり感じていなかったのを覚えている。

自分が得意な物と、皆が熱中している物が同じとは限らない。

今思えば小学生の頃、こういう若干の疎外感みたいなものを感じていたので、この鉄雄くんの気持ちは結構わかる。

 

彼はそれでもチェロが好きなので、1人で練習をするんですよ。

自分が憧れた、本来2人で弾くはずの曲を兄がLogicで打ち込んでくれた(ちゃんとソフトがLogicだとわかる描写に作者の取材の綿密さが伺えます)いかにも打ち込みのチェロ伴奏に合わせて。

でそこに郁未くんが登場すると。

難破船の事故に遭った時鉄雄のチェロが聞こえて呼ばれた気がしていたと。

そして郁未くんも一緒にチェロを始めて、2人は無二の親友になっていくと。

やっぱね、好きな物って共有したいのが人の性なんだよね。小学生ともなればなおのことそうだよね。

仲良くなるのも当たり前のことだよね。

 

いやー素晴らしい。これぞボーイミーツボーイ。

この展開こそ少年漫画であり、少女漫画。

関係ないけど先輩にラノベと普通の小説の違いって何ですかと聞いたことがあるんですけどね。

「ボーイミーツガールがあるかどうか」だと仰っておりましたよ。

例えばSFものなんかでも、ボーイミーツガールがあるものはラノベなんだと。

文体が軽いかどうかっていうのも一つの基準ではあるけど、ラノベの中にも軽くない文章だってたまにあるじゃない?

まああんまり読まないから知らないけどね。

多分この漫画を少年・少女漫画と思わせるのはボーイミーツボーイがあるからじゃないですかね。

(今ふと思ったけど青年誌の反義語ってなんぞ?レディコミ?)

 

そして最近の少女漫画はやはり、漫画という文化が娯楽であり商業である以上無視出来ないところのBL要素というやつをそこかしこににおわせてきますよね。

「僕のジョバンニ」でググると「僕のジョバンニ bl」って予測が出てくるくらいにはやはりその要素を敏感に感じ取る猛者達がいるようですよ。

全く人間の想像力ってのは本当に素晴らしいぜ。

 

郁未が鉄雄の想像以上の早さでチェロの腕前が上達していくことに鉄雄が動揺するところで1巻は終わります。

一生懸命打ち込んでる物を、あとから始めたやつが自分より才能あって追い越していくかもしれないってなった時、人ってきっと動揺するよね。

ここから彼らの友情がどう変化していくのか気になって仕方がないぜ。

最近ってわざわざ計算して単行本の最後に次の巻が読みたくなるような話の盛り上がりを持ってくるって言いますよね。重版出来で読んだ。

見事に出版社の策略にハマってしまっているぜ。

面白いので読んでみたら良いと思うぜ。

 

ところで最近の私は新しい音源の歌詞を作ろうと四苦八苦しているぜ。

早いところ完成させたいと思っているぜ。

色々頑張ってはいるので何かしら報告出来ることはそのうちするぜ。

そんじゃあまたの。

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