池澤寛行は密かにDJをしたい
クソ憂鬱だ。
特に何かあったわけでもないのにたまに襲ってくるこの憂鬱感から逃れるためには一体どうすれば良いのか。
誰が救ってくれると言うのか。
本当は知っている。
自分が本当に辛くて、何かあればすぐ泣いていて、何もする気が起きなくて、逃げ込む様に本ばかり読んで、メシもろくに食わずに働くことも放棄して、誰かに迷惑をかけて、そういう時、本質的に救ってくれるのは他人では決して無かった。
無論、その時手を差し伸べてくれた人がいたから、人間は必ず誰かに助けられて生きているということを知れたし、人に感謝するということを知った気はする。
でもそれは生きていくことを助けてくれるのであって、気持ちよく生きることの手助けにはならない。
死ぬほど辛い思いをしながら、それでも生きなさいよという手助けなので、こちらとしては全然辛い。辛かった。
そういう時に曲を作っては俺すごいやつ、生きてて大丈夫、俺やっぱすごいやつ、生きてて大丈夫、と言い聞かせては作った曲を聞いたものだった。
そして飽きてくると、停滞した現実を見なければならなくなり、俺ダメなやつ、早く死ね、俺ダメなやつ、うわあああとなり、また作って、を繰り返していた。
曲を作るのは当時は現実逃避でしかなかった。
余談だが僕は曲を書く、という表現を使わない。書いたことがないからだ。
常に頭の中にあるのに書く必要がない。歌詞も書くというより打つ。携帯で。
当時は自分の音楽が人に求められることがあるだなんて思ってもなかった。
才能はあると思っていた。
でもそれが一体どんな意味があってどうすれば自分の求めている漠然とした果実になるのかがわからなかった。
今は比較的わかる。
オリジナリティを感じてもらえる人たちに上手に投げることが出来れば、きっとそれは需要があるし、それはお金になる。
資本主義経済の中ではお金にならなければ価値は生まれないし、ちゃんとした評価はしてもらえない。
当時は音楽なんて売れないしもうお金になるはずもない、と思っていた。
自分の才能が社会じゃ使い物にならない、と漠然と悟った時の無力感は大した物だった。
サウンドクリエイターや、作曲家になる道も今思えばあった。
前者は今でもあまり気乗りはしないが、後者は今でなくとも可能性はあったような気はする。
なのに、DTMをしようにも、今思えば、本当に頑張って働いて少しずつでも貯金してMacでも買えば良かったのにそんな頭すら無かった。
要するにクソダメ人間で、働くことが本当に嫌だった。
どのくらいダメだったかはいつか別の機会で書くにしても、話を戻すと、どうしようもない憂鬱を晴らしてくれるのは他人では有り得ないのか、ということ。
誰かに救いを求めて、それが成就している人々のことはうらやましいと思うと同時に、少し怖いとも感じる。
教育と洗脳、信仰と信頼は紙一重だと思うから。
そんなこと言ってるからいつまで経ってもこんなよくわからん閉鎖的苦悩を抱えているんだバカかお前は黙ってオナニーでもして寝ろよクソが、と脳内で古屋実マンガのキャラが言っている。
自分の苦悩を100%理解してくれる人なんてこの世の中にはいない。
例え全く同じ辛い経験をある二人の人間がしたとしても、感じることは違うだろうし、話したところで完璧な傷の舐め合い→治癒など出来ないと僕は思う。
結局僕は未だに救われてはいない。
と、いうか救われなかった。時間が経ってどうでもよくなった、というのが正しい。
怒りの風化というのはこの世で最も情けない事象の一つなのではないかと個人的には思う。
エネルギーのある人間は一つのことでずっと怒っている。ヘイトパワーの凄さは身を以て体感している。
怒りが風化して行く様を俯瞰で見ている自分を感じる度、お前の人生は一体なんなんだ、と思う。
そんなの深く考えずに楽しく暮らせば良いのに、と言う人は大勢いるだろう。
お前らにゃ一生わからん、ってここまで長々書いて来たんだよ。
変な文章読ませて悪かったな。
DJ機材を買おうと思う。
APC40 mk2。
こんなことが出来る。
Dave Winnel Live APC40 2012 (100 songs in 10 minutes Minimix) - YouTube
Akai Pro APC40 mkII Performance featuring Carl Rag - YouTube
The APC40 Ableton Performance Controller in action! - YouTube
うぐぐ。。かっこいい。。。
トラックやマッシュアップを自分で作ってしっかりDJ出来るようになりたい。
今やらなければならないことから全力で目を背けてそんなことばかり考えております。
あーダメだ。。