5/28
今朝起きたという、殺傷事件が痛ましすぎて気が滅入っている。
被害者や遺族が本当に気の毒で、これから楽しいことがいくらでもあったのに全く関係のない他者にその可能性を閉ざされてしまったということをとても残念に思う。
自殺したという犯人の50代男性、実際のところがどうかはこれから報道が明らかにしていくんだろうけど、そのステータスだけ見ると「一つも人生がうまくいかずもう何も失う物のない人が"社会"という大きな括りへ最後に腹いせをして自殺した」という構図に見えてしまう。
以下はその前提で書いていくが、違ったらすみません。
正直、僕には他人事に見えない。
10年後、20年後にもしかしたら人を殺しているかもしれない。
以前、偶然発見したドキュメンタリーをYouTubeで見たことがある。
中高年の引きこもりが増えているという内容だった。
年金暮らしの親に頼り自室で消費活動だけを繰り返す様、そして更生を目指す団体の職員が接触を試みて自立を促していく。
無理やりこじ開けたそのゴミだらけの自室には、ボサボサの髪型に中年太りの男がスウェット姿でいた。
とてもじゃないが、他人事だと思えなかった。
今回の事件も、それに近いものを感じている。
例えば今回の件を受けて、
「子供達は外で遊ばないようにしましょう」
「不審者には近寄らないようにしましょう」
という対策は自衛の意味では合っているし、取らざるを得ないのだと思う。
それは間違い無いんだけど、それよりもどちらかというと社会全体から「もう生きていても意味がない」「何らかの形で社会に復讐したい」と思う人を失くす、減らすことの方が大事なのではないか。
と僕は思ってしまう。
世の中を考えてみれば不審者や凶悪犯罪予備軍の方が数は圧倒的に少ないはずで、刑法犯の総数は年々減少している。
実は今国内はとても平和なはずなのだ。
(殺人の数は減ってはいないが、そもそも極めて少ない)
平成30年警察白書 統計資料 特ー2より引用
https://www.npa.go.jp/hakusyo/h30/data.html
(認識が間違っていたらすみません)
マイノリティである凶悪犯罪から身を守るために、マジョリティが他人を警戒して社会全体が不信感に満ちていくというのは本当に悲しい。
息苦しく感じてしまう。
かと言って、万が一に備えるという意味で安全策を講じることも正しい。
だからこの問題はとても難しい。
難しいけど、出来ればその何ら生きる価値を見出せずに投げやりになってしまう人たちにも、豊かに生きられる未来を、と僕は思う。
豊かさとは何か、というのはよく考えるんだけど、
・「自分で自分の生きる道を選んだ」という自負
・ある程度の消費活動
・(時には多少のストレスを伴う)生産的な活動
・その消費と生産を他者と共有すること
このバランス感覚なのではないかと思う。
ただ生きるための仕事でもいい。
お金が欲しい、今の仕事はクソだ、と嘆いてもいい。
でも行きすぎて歪んでしまったり、共有する相手が見つからず溜め込んでしまったりはよくないのだと思う。
納得のいかないことがあっても、イライラすることがあっても、どこかで「これはこれで悪くないよな」とみんなが思えるような、そんな素敵な世界であって欲しい。
そのために、出来ればこれを読んでいる人くらいには、失敗に寛容であって欲しい。
僕はたくさん失敗してきたけどまだ自分を信じて生きていられる。
それは僕の失敗を「仕方ないよね」と受け入れてくれた家族や友人がいたからだと思う。
例えば大学で色々あって会社の内定を蹴って留年した時、姉や父母は「これからまた頑張ればいい、今が一番辛い時だから」と言ってくれた。
でもよく覚えていないが5年目だか6年目を迎えた時、新歓コンパに顔を出して知らない若者に留年していると伝えると「何やってんすか、ちゃんと生きなきゃダメじゃないすか」とバカにされた。
誰にだって生きていれば歴史があり、事情がある。
そのことを想像出来ない人は少なくない。
日本社会はなぜか、「一度失敗してしまったらもう取り戻せない」という意識が強い。
例えば終身雇用だとか新卒一括採用というものが現実的ではないという意識がようやく共有され始めた今でさえあるくらいなのだから、今の40,50代の頃の想像もつくだろう。
その世界で失敗して、自尊心を持てないまま可能性が緩やかに閉ざされていく人生を想像すると、本当に胸が苦しくなる。
生まれる時代が違ったら、もしかしたら自分もそうだったかもしれない。
ドキュメンタリーに出ていた彼や、今回人を殺して自殺した彼は、世界線の違う自分なのかもしれない。
そう思うととても他人事とは思えない。
繰り返すが被害者やその遺族の皆さんの悲しみは計り知れないし、犯人がしたことは到底許されることではない。
裁かれなければならないだろうし、人殺して自殺したなんて最悪だ。
だけど、報道がこれから過熱していく様も、それを見てまるで関係ない人たちが犯人やその遺族に対して石を投げつける様も、正直見たくない。
僕たちに必要なのは、よりよく生きていくための教養なのではないか。
憎しみだとか怒りだとか悲しみだとか、そういうものがごちゃ混ぜになって知らない人たちがいがみ合っている姿は本当に悲しい。
ただのミュージシャンでしかない僕が政治に対して出来るのは投票ぐらいなものだが、社会全体に対しては落伍しかけている人々をどう幸せへ導いていくかというのを考えて欲しいなと思う。
それが凶悪犯罪の減少に繋がると信じています。
正常と異常は地続きになっています。
だからみんな正常になれるし、異常な状態からも引っ張り上げられる。
僕は引っ張り上げてもらってかろうじて生きています。
社会とうまくやっていけない人たちが豊かに暮らせるようになり、その結果凶悪犯罪が減り、全ての人が安心して暮らせる世の中になることを願っています。
本日のおべんちゃらは以上です。