10/2
高校生の頃、出身大学を見学しに行ったことがある。
長野に住んでいた一般的な高校生の僕にとって、東京は一定憧れがあった。
大学を見学しに行くという体を取ればそこそこ東京で遊ぶことが出来るだろうという目算があった。
既に上京していた友人と東京で会う約束をして見て回った。
不思議と楽しかった思い出はない。
色々あって有り金を失った。決していかがわしい店でどうだとかカツアゲされたとかそういう話ではなく、本来持っているはずのものを失って、若かった僕はそこそこ動揺した。
それでも一応大学の見学には行った。
その時まさに大学祭が行われていて、南大沢は賑わっていた。
今にしてみれば大学生のガキどもがワイワイしているだけのごくごく一般的なその催しは、路銀もなく友人もいない若干18歳田舎育ちのさらなるガキからしてみれば、それはそれは心細さを喚起させるものだった。
当たり前のことだが、インターネット黎明期が若干過ぎ去った頃、BBS(死語)などで趣味について語り合っていた地方のマセガキの音楽リテラシーは低い。
そこそこ大学祭の野外ステージやジャズ研の演奏に感銘を受け期待を抱き、大学を後にしたのを覚えている。
そして帰り際、止めでも刺されるかのように携帯が壊れた。
疲れと絶望とは裏腹にどうにもならないまま長野駅に着いて、何とか親に連絡を取ると父が迎えに来た。
父は僕の一連の失敗を咎めた。
というのも、そもそもこの旅は初めからうまくいっていなかった。
僕の準備があまりにずさんだったため。長野発東京行きの高速バスに乗るためには、父が駅まで送る車は法定速度を超えて急がなければならなかった。
それ故行きの車の中の空気は気まずかったし、必要以上に急いだ結果、父の運転する車は急に飛び出してきた小学生の女の子と接触してしまう結果となった。
その小学生の女の子が、急いでいるしなるべく迅速に対処したい我ら親子の意志とは完全に裏腹に、外界との接触を絶つかのように、何かわけのわからないことを言いながらブレイクダンスのような動きを取っていたのをかすかに覚えている。
小学生なんてそんなもんなんだろう。
僕はその時自分以外の全てを憎んでいたような気がする。
父が焦って彼女を道路の外に連れて行こうとして、それを彼女が嫌がるのを見ている時間、その分だけ後ろで並んでいる車は増えていく。
僕が東京行きのバスに乗れる可能性も下がっていく。
誰かのせいにすることしか出来なかった。原因を自分以外に求めることしか出来なかった。
一番わかりやすい対象が彼女だった。
今も覚えているくらいだから、その彼女に対する憎悪はかなり大きかったのだと思う。
結局バスには間に合ったがそんな出来事があったから、東京への旅路には暗雲立ち込めていたし、実際うまくいかなかった。
(誤解されそうだから付け加えておくと父はその件に関して法的な罰など受ける立場にはなかった)
帰って来る頃の僕は心身共に疲弊していて、その頃の自分を取り巻く環境も相まって、本当に最悪の気分だったことを覚えている。
しかもそれを父のせいにしようとしていたような気がしている。
今思えば父は単純に子を想い、息子である自分に何かあったらどうするんだと咎めたかったのだと思う。
しかしその思いは不出来な息子にはまるで伝わっていなかった。
それどころか反発心を煽る結果となっていた。
腹に据えかねる、ぶつけどころのない怒りを抱えつつ家に帰ると、母はビーフシチューを作って待っていた。
母が聡明だったと思うところは、何も言わずにまず黙ってビーフシチューを出す。
そして何かこちらが喋り出すのを待つ。或いは強気に出ずに諭すようにこちらの話し出すのを待ったところだった。
ずっと泣きそうだったのを今でも覚えている。誰に何をぶつけていいのかわからなかった。
ぶつけることを恥なのではないかとも感じていた。
大学を卒業して東京で働く姉は、良い給料をもらいつつも久々に会う弟にとんかつをおごりながら、それでも今の家族の状況を憂いていた。
その当時、我々家族の中に、現状を冷静に分析してもっとも効果的な施策を捻り出し実施出来るような人間は一人もいなかった。
池澤家はみんな情が深い。そしていい意味でも悪い意味でも、日本の一般的な家庭の一つだった。
故に論理のみでひた走るようなことは誰にも出来なかった。
僕もまた、その姉の話を聞いたり家族が苦悩しているのをみて、高校生なりに考え苦しみ、屈折し続けていた。
ビーフシチューは特に好物ではない。
自分が料理を今も楽しめるのはきっと母の料理及び教育があったからだと思っているが、母の料理一品一品に特別深い思い出があるわけではない。
けれど、この時出てきたのがビーフシチューだったというのは今でも鮮烈に、明確に覚えている。
そのビーフシチューを食べながら、母に一体どんなことがあって何を感じたのか話そうとした時、居間でテレビを見ていた父がこちらに来てまた小言をひとくさり言った。
正直限界だった。
そこそこ内気でアーティスティックな上に純粋で繊細(笑)な池澤少年にとって、それは我慢出来る状況ではなかった。
父に何か汚い言葉をかけて、ビーフシチューを食べるのもやめて、部屋に戻って一人で泣いた。
あの時のあの気持ち、部屋の家具の位置、気温、そういった一つ一つを今でもはっきりと思い出せるのだから、人間の記憶能力というのは侮れない。
泣き腫らしていると母が入ってきて、父を擁護する。
何なんだこの地獄絵図は。
恐らく今ぐらいの客観性を持って接していられれば僕はそう感想を持っただろう。
何をどうすればいいのか本当にわからなかった。
自分は一体何で生きているのか、親は何を楽しみに生きているのか。
みんな一体どうして大学に行くのか。
勉強しているやつらが誰も楽しそうに見えなかった。
自分の居場所は放課後、誰よりも早く向かったクラブ練習室と、真夜中友人と遊び狂うあの空間だけだった。
そう思いながら暮らしていた高校生活を、なぜかビーフシチューたった一つで思い出す。
青年だか中年だかになった池澤くんからすれば、池澤少年の苦悩は到底共感出来るような話ではない。
人は自分の立つ場所によって、想像すら奪われる。のかもしれない。
と、いうようなショートストーリーが今お酒を飲んでいたら思い浮かんだよおおおおアヒイイイイイイ
明日も元気に曲作ろうねエエエエエエエエエエエエ
8/23
最近は何もやる気が起きなくて、ずっと立ったり座ったり、息吸ったり吐いたりするだけの生活をしていた。
けどやっぱり日々やらなきゃいけないことというのは確実にあって、というかそれに救われてる人もたくさんいるだろうしそれでよくて、
そういうのも全部放棄してグダグダしていたんだけど、
久しぶりにspotify開いて音楽聴いてみたらなんかやる気出たから曲作り始めてみたら、やっぱ楽しくてすごく元気になった。
夢中になれるものがあるって素晴らしい。
だせーなぁとか、キタキタこの瞬間を待っていた!とか、いつもこの進行に逃げがちだよね、とか、そういうの一つ一つがそういえば俺好きだったんだなぁって思いました。
やる気が出てきたので新曲をたくさん作りたいと思います。
誰とも話す気が起きない時に誰かと話すとすごく元気になる。
何にも笑える気がしないのに何か見て笑いが溢れる時がある。
もう自分が根底から作りたいものなんかないんじゃないかって思っても、作れば楽しいしもっとやれると思う。
神はなぜこのような仕様で人間を作ったのか。
耳たぶ捻ったら脳内麻薬分泌されて全員楽しくなれるような設計にした方が絶対みんな幸せだったろ。
僕は幸せな部類ですよ。
耳たぶ捻らなくたって音楽作ってれば脳内麻薬を分泌させられるからね。
8/15
自分が自分であることから逃れることは誰にも出来ない。
基本的に、人は常に変化し続けるものだと思っている。
多かれ少なかれ、長期的短期的、程度の違いはあれど、微弱でも少しずつ人は変化する。
現状維持というのは本質的には不可能で、ミクロに見てみればそれは必ず好循環か悪循環に向かっているものだと。そう思っている。
だからその変化し続ける自分というのを受け入れるために、反対意見やdisであろうと、まるで自分と食い違った意見でもまずは聞いて考えてみることを大事にしている。
幸いにも、自分には多方面に世話を焼いてくれる人がいる。
思ったことを言うと、「それは違う」だとか、「もっとこうした方がいい」だとかそういうことを言ってくれる。
それを検討考慮して、自分のやりたいこととのバランスを取って、じゃあもっとこうしてみよう、と別のアプローチであったり作風であったり考え方であったりを取り入れてみる。
そしてそうしてみると確かに手応えが違ってくる。つくづく自分一人に出来ることなどたかが知れてる。そう思う。
しかしそうなってくると、結局自分のやりたいことってなんだった?
このやり方でもっと大きくなって成功して俺は楽しいんだったか?
という疑問はもちろん湧いてくる。それまでのやり方を変えるわけだから。
俺の作りたいものは、誰かに届けたくて作っているんだったか?
もっと自分の根源にある、「自分は何者でありたいのか?」という問いを、
人生の中で最も感銘を受けた音楽という素晴らしい文化を使って、発信したいのではなかったか?
屈折した、鬱屈した思春期。
苦しんでいる家族を見て「この人たちは何のために、何がしたくて生きているんだろう」とまるで他人事のように俯瞰で見つめていたあの頃に、
最終的に自分に返ってきた「じゃあお前は何がしたいの?」という問いに、
10年以上経った今でもちゃんと「俺はこういう人間だ、これが俺なんだ」って言いたくて、だから音楽作ってるんじゃないの?
届けたい相手なんて元々いたか?
お前は誰かにこの曲イイネって言われたくて作ってたのか?
などと思いを巡らせてしまうタイミングというのはもちろんある。
だがしかし、発信する以上人に評価されたい、気付いてもらいたい、いいと言ってもらいたいという気持ちは当時にしたって今にしたって当然に発生するもので、
こういう考え方は多分子供じみた感傷に過ぎないのだろう。
気持ちやイメージの問題でしかない。
要するにただの無い物ねだりで、何とも自分らしい下らない考え方だ、とも思う。
変化し続ける自分を受け入れているはずが、相変わらず自分らしさというやつを感じるというわけだ。
体の全ての細胞は三ヶ月で全部入れ替わってしまうという。
それでも我々は同じ生き物として生きていく。
どんなに考え方が変化しようと、どんな価値観に自分が影響を受けようとも、
自分が自分であるということから逃れることは誰にも出来ない。
最終的に全くの別人になってしまったとしても、やはり自分は自分でしかない。
交友関係が完全に変わってしまったとしても、貧乏だろうが金持ちだろうが、根底にある人間性というのは三つ子の魂云々というやつなのだろう。
何歳になったって、自分は他者から学びたいと思うし、変化したいと思う。
よく「その年になってそれならもうその人は変わらないよ」なんて言うけど、俺はそんなことないと思う。
誰だって、いつだって望めば、受け入れればきっといい方向に変われるはずなんだ。
その一つの証人になれたらと思う。
それでも自分であることはきっと変わらない。
俺は変化し続ける一つの個性であり続けたい。
6/25
amazonプライムビデオとかいうマジ素晴らしい文明の利器で、アルコホールを摂取しながらおっさんが居酒屋を来訪するビデオを見る。
レシピを淡々と料理する系の何がしかであったり、ただ大食いの何者かがひたすら食べるであったり、何者かが酒を飲んで幸せそうにしている様子を映像に残したものがとても好きで、暇な時見たりしている。
僕からすれば、よく食べる人というのはそれだけで魅力的に写る。
僕は食べるのは好きだけど、胃腸が弱いらしくあまり食べられない。
どちらかというと自分が作ったものを誰かがおいしそうに食べるのを見てる方が幸せだ。
基本的に一人で音楽作ったりアーアー言ってるだけの日常だから、社会との接点としてというか誰かに必要とされていると改めて実感出来るというのが大きいのかもしれない。
何より感謝されるというのがいい。趣味と実益。需要と供給の一致。承認欲求の充足。
酒は飲むが、飲みすぎると二日酔いが胃に来る。
頭が痛くなったことはないが、吐き気は酷い時は本当に酷い。
最近だと本来40分程度で帰れる帰路において、降りる必要のない駅で3回降りてその都度トイレで吐き、実際帰るのに2時間かかったことがあり、もう2度と深酒はしまいと誓ったことがある。
無論その誓いが守られることはない。
脈絡ないが、よく食べて飲む人たちを見てるのが好きなんです。
で、今日それをディスプレイ上でおっさんたちがやってんのを漠然と見ていたと。
そんであーこの人もうよぼよぼだなーとか、あーこの人発言の合間にあーとかうーとか挟まってんなーおっさんだなーとか思って見てたんですけど、僕レベルの自意識過剰になってくると、じゃあ自分どーなん?って疑問が浮かび上がってくるんですよ。
この動画が撮られたのは2007年。
今ちょうど10年後です。
彼らの10年、自分の10年、さらに若い者たちの10年に思いを馳せるわけです。
その時点で50代、60代だったであろう人たちがディスプレイに映り込んでいる。
どうなってるよ自分。10年ひと昔って言葉はとても言い得て妙というか、確かに10
年って区切りいい上に何か世の中の文化とか価値観とか変わってること多いなって思うんですよ。
その中で、自分にとっては前の10年間は価値あるものだったなって思う。
そんでこっからの10年どうすんのよ?って疑問が湧いてくると真剣にならざるを得ないですよね。
なんつーか、映像見てて、「この人らの10年と自分の10年は長さとか変化とかそういう色んなものが違うんだろうな」って思ったんですよ。
段々若くなくなっていく自分がこれからの10年でやれることって何よ?
っていう問いを何となく感じましたよね。
っていうかただおっさんが酒飲んでるだけの映像からそんな問題提起をピックアップすんなよ。アホかよ。
イイ老け方をしていきたいものだね。私からは以上です。
5/13
昔好きだったというか、感銘を受けたバンドの映像をYouTubeで見たりすると、自分が当時とどう変わったかと言うのがよくわかる。
どんどんサウンド面を洗練させていくことを意識しているから、シンプルなアンサンブルを聞くと音を足したくなる。
昔好きだったバンドは、驚くくらい重なっている音が少ない。
自分は考えすぎていて、所謂こじらせという状況に陥っているのかとすら思う。実際こじらせているのかもしれない。
何かすごく俗っぽい言い方だな。
何年か前に「お前は一度良い音楽の追求とかいう迷いの森から出ろ」と言われたことがある。
音楽に良し悪しなんてなくて、好みでしかないよねって言われたこともある。
言ってることはわかる。けどそれは違う。
甲本ヒロトは言いました。
一番おいしい食べ物が一番売れてるものだとしたら、この世の中で一番おいしい食べ物はカップラーメンになってしまうと。
優れているかと、売れているかは必ずしも相関しない。
小説やマンガだって多分そうで、考えに考えて洗練させた重い文章が売れるとは限らない。
だけど言葉を尽くしたということに感銘を受ける人は絶対にいる。
そういう文化を愛でる心を僕は純粋に素晴らしいと思います。
音楽にだってそういう感覚があると信じています。
話は戻って、昔好きだった音楽が今はずいぶんシンプルに聞こえるという話だが、それは何で出てきたかというと、僕もずいぶん変わったんだなぁという風に言いたかったわけです。
佐藤秀峰先生が言ってました。
物語って言うのは、変化を綴るものなのだと。
確かにそうで、小説だろうが映画だろうが、何かの物語というのは必ず変化を描いているんだと思うんですよ。
そんでね、我々人類はみんな少しずつ変化していくものだと思うんですよ。
そしたら誰だってきっと物語になれるはずで、誰だって誰かのための楽しみになれるのではないか?
願わくば自分の変化が誰かにとって面白いものであればと思うし、誰かの変化を自分が楽しめればと思う。
だから僕の好きな人達には変化を恐れずにいて欲しいと思う。
僕はあなた方全ての変化を物語として楽しみたいんです。
それが所謂人生というやつで、本質的なエンターテイメントなんだと思っています。
変わることを恐れる必要なんて無い。
そう思いながら自分の信仰するものが根底から覆される危険性を感じるとどうしても物怖じしてしまうんだよなぁ。
全く人間って面白い生き物だネ!
池澤寛行より皆様へ大切なお知らせ
ってタイトルにすると案外皆見てくれるって聞いたのでしてみた。
お知らせは実際あります。
シンガーソングライター・池澤寛行は本日を持って活動を終了します。
これまで販売していたCDは現在残っている分のみ、新たに生産はしません。
楽曲ももうライブでやることはありません。
今後はSUKISHAと名乗りを変え(といってもほとんど変わってないけどネ)、トラックメイカー兼DJ兼マルチインストゥルメンタリスト的な存在になっていけたらと思っています。
やることは特に変わりません。
自分が良いと思う聴いたことの無い音楽を作って、世に発表するだけです。
全世界を踊らせに邁進して参ります。主に英語を使う人になります。
でもブログはたまに日本語で更新すると思うので見てやって下さい。
それではまたインターネットで会いましょう。
エンジョイユアゴールデンウィーク!
4/27
覚悟はあるのか?
そう聞いてくるコンテンツをいくつか知ってる。
大体人が後悔するのは、覚悟が出来ていなかった時だ。
自分が行く道を決めてからうまくいかなかったからといってブツクサ言うやつというのは多くの場合において非常に見苦しい。
自己分析が出来ていない。説得と納得の違いをわかっていない。
そうならないために出来ることは、よく考えること。経験すること。そして覚悟を決めることだと思う。
たった一つの意見や経験則を誰かから授けられてそれだけを盲信することは危険だ。
実体験のみで語るには、この世界には会ったことの無い人種が多すぎる。
一度きりの人生でただ一つの正解だけを信じ続けるのは、少しもったいないのではないか。
世の中にはいくらだって自分の知らない正解が存在するわけだから。
自分の理解の範疇外で幸せそうにしてるやつなんて、いくらでもいる。
俺は覚悟が出来ている。音楽と心中する。
音楽は信仰であり、宗教だ。音楽になりたい。
例えば今、足が吹き飛んだとする。
両手があれば音楽は出来る。
例えば今、手が吹き飛んだとする。
クリックさえ出来れば音楽は作れる。
現代のテクノロジーに感謝。
例えば今、声が出なくなったとする。
世の中には幸運なことに素晴らしいボーカリストが山ほどいる。
適材適所と言うやつだ。
例えば今、目が見えなくなったとする。
むしろ他の感覚が鋭敏になる分能力を伸ばすチャンスだ。
素敵な音楽が作れそうだ。
例えば今、耳が聞こえなくなったとする。
ベートーベンに出来たんだから、今の時代なら作れるやつなんていっぱいいるだろ。
俺にだって出来る。むしろチャンスだ。
死ななきゃ音楽なんて一生出来るんだ。
出来ると信じてる。生きてさえいれば大丈夫。信じてさえいれば大丈夫。
覚悟はあるのかって?
あるに決まってるだろうが!!!
音楽が好きだ!!!