6/7
日記は(なるべく)毎日続けることに意味がある。
しかしちょっと油断すると本当にすぐ忘れるな。まあ別に誰も損しないと思うから良いけど。
どうでもいいんだけど、ことポップスにおいて曲に命を吹き込むのは歌詞だと思っている。
曲だけある状態で、乗ってる詞が良いか悪いかで曲の良し悪しは変わると思う。
どんなクソなトラックでも歌詞が良ければそれなりに聞こえる場合が多い気がする。
自分で作ってて曲の方で手を抜いたことが無いので何とも言えないけど。
いや、そんなことないか。
昔手を抜いたトラック作ったことあったわ。
そしてそれはやはり誰に聞かせてもイマイチと言われた気がするわ。
曲はいい曲ってよく言われるのに。
細部に神は宿るって言うけど、やっぱりどの行程も手を抜いちゃいかんのだなぁ。
アレンジが良ければ随分印象変わるっていうのもある気がするし。
「この曲はそんなに良くないなあ」と思う曲をアレンジでどこまで持って行けるかというのはやはり試してみたい。
全く関係ないけど毎週火曜日は近所の中華屋の担々麺が半額。
そしてフリースタイルダンジョンがAbemaTVで放送される。
割とそれを楽しみに生き延びてる節がある。
フリースタイルダンジョンと言えばこの間新宿で若者の投票を促すフリースタイルラップイベントが行われたそうだ。
若者よ、投票へ行こう!18歳から投票が出来るぜ!的なイベントを、今若者に大人気のフリースタイルラップのヒーロー達を呼んで行ったわけですね。
これをTwitterで幻滅した、と語ってる方がおりまして、一般的な言葉で説明すると、恐らく「セルアウトだ」であったり、「アンダーグラウンドで活躍するやつらが権威主義に負けた」であったりという批判になったのではないかと。
僕も大分フリースタイルブームにハマってる人間なのでそれこそ動画とかめっちゃ見てます。
セルアウトって言葉があるくらいだからヒップホップの皆さんは売名行為とかが嫌いなのかなあ。
まあでも、アンダーグラウンドだって言うくらいだから反体制なんだろうし、今の世の中には変わって欲しいって思ってるわけでしょう。
だったら若者の投票によって何かが変わるかもって思って協力したって考え方もあるわけで、別にそんなに批判とかしなくてもいいのになあと僕は思ったわけです。
共通の敵を倒す為に同盟を組むのなんて、当たり前のことですからね。
どうなって欲しかったんだろう。行政主導のイベントに参加せずに投票を呼びかけてたらそれはそれで怒るんだろうか。
人それぞれですから、行き過ぎなければそういう批判ももちろん良いですけどね。
今日のフリースタイルダンジョンは誰が出てくるんだろうか。
ではまた。
アディオス。
6/3,4
日記は(なるべく)毎日続けることに意味がある。
昨日は昼間都心で用事をこなし、今度友人と行うパーティの打ち合わせ兼飲み会へ。
ブログを書く暇が無い日ももちろんある。
そのパーティはデザイン系の後輩と共に行うんですが、その彼らの就職活動について聞いたところによると、彼らはそれまでの実績をまとめたポートフォリオというものを作るそうです。
僕は音楽しか出来ないので、しっかり用意された自分をプレゼンする為の資料とそこに掲載されていたデザインの数々に、素直に関心しました。
そのまま後輩宅に泊まって昼はみんな大好き八王子ラーメンを食べに行きました。
もはやラーメン界の味噌汁。いや、味噌汁をラーメンで超えた。
あの辺りに行くと絶対食べてしまう。魔法のアイテムである。
いい感じにしょっぱすぎず、お腹はいっぱいになるけど全然しつこくない。
そんなありがたいラーメンです。
そしてその後は大学のジャズ研同期、鈴木タツヒコリアと何か一緒に動画を作ろうと相談。
なぜか特に住んでいるわけでもない駅に呼び出され、何かと思ったら
「前にこの駅のリサイクルショップに売ってた帽子を買ったが失くしてしまったので、また買いに行きたい」
と言う。
正直何を言っているのかわからなかった。
リサイクルショップって中古品を取り扱ってるわけで、普通は売り物は大体一点ものなのではないか。
しかし彼は自分の感覚を信じる男。同期きっての感覚派である。
彼の足取りに迷いはなかった。リサイクルショップにまっすぐ向かい、帽子売り場へ。
なぜか以前購入した帽子はまだそこにあった。
彼の意志の力がそこに帽子を存在させたのだろう。
そしてスタバへ。カフェイン摂取すると体調を崩す僕が何年かぶりにスタバへ。
オレンジジュースをオーダー。スタバのオレンジジュースは甘すぎずうまかった。
話はまだしっかりまとまってはいないけど、きっと何か面白いものが作れそうだと思う。
そして夜はオープンマイクへ。チャリで向かう。
相模原リコのオープンマイクは割と誰の演奏でも飛び入りで入っていい空気なので、下手なりに色々な人の演奏に参加する。
全然たいして弾けないが楽しい。
ソロとか全然、弾けないよね。だって練習してないからね。
トラック作りをメインにしてるから、練習は優先順位下がっちゃうんだよね。
いつかしっかり練習したいってずっと言ってるよね。まあいつかやりますよ。
明日は明日でまた忙しそう。最近週末の方がやることが多い。
周囲の社会人達の影響を受けているのであろう。
今は次何をカバーするかを考えている。セカオワが結構有力。
ちゃんとアレンジするとどうなるか全く想像がつかず、面白そうだから。
ガンガン作って、色んなとこで演奏して、動画も上げるぞ!
俺はやる男!有言実行の男!!!!
ファイト俺!
ではまた明日。
6/2
日記は毎日続けることに意味がある。
今日はかなり前から作っていたカバー曲がようやっと完成した。
今それを聞きながら書いています。
やはり、完成した時の万能感というか、報われた感はすごい。
とても幸せです。あとはどう発表するか考えねば。
結局何が好きなのか、何がやりたいのかとよく問われます。
僕は今のところ、どれか一つに絞ると飽きてしまうのでどれもバランスよくやれたらなと思っています。
宅録で作るときはもうほとんど楽器を演奏することはありません。
その方が楽だから。だって俺、歌も楽器も下手なんだもの。
歌とか楽器とか思い通りに歌えない、弾けないと結構へこみます。
でもあんまり練習はしない。ダメだなあと思いつつ、今は打ち込みである程度出来ちゃうから完成させることを優先でやっています。
決して歌や楽器がやりたくないわけではなくて、そのどちらも高みを目指したい気持ちはあるのです。
特に歌なんかは、自分の歌い回しとか言葉の乗せ方があると思っているので、自分で歌うということに意味があると思います。
ルーティンワークを作ればいいんだけど、トラック作ってるとそれどころじゃなくなってしまうんですよね。
管理してくれる人がいたら出来る気がする。
ところで、憂鬱を解消する方法なんですが、やはり友人とクソどうでもいいやり取りするのが一番有効なんだなぁと思いました。
どうでもいいことLINEするとか、そういうのが重要なんだなぁ。
面白いってすごい。笑いってすごいっすな。
お笑い芸人とかはあんまり好きではないんですけど。テレビもあんまり見ませんし。
6月は作らなきゃいけないものが沢山あるので、グイグイ作っていきたい。
動画も撮っていかねばなりません。頼める人をパパッと見付けたい。
梅雨が来ても退屈と憂鬱を吹っ飛ばせるように頑張ろう。
今日は短くまとめるなり。
アディオス。
6/1
日記は毎日続けることに意味がある。
ここのところ憂鬱に感じることが多い理由を事務的に挙げていきたい。
①前進が感じられなくなって来ている
これまではひたすら曲を作っていれば良かったが、売る・広める段階に入ってきて長期的な視点、戦略を求められている。
曲が完成すれば欲求が満たされていた今までは、つまり自分の中でのミッションが「自分が考えるいい曲を作る」ことだった。
しかしこれからは、「自分が考えるいい曲を(なるべく多くの)他人にいいと言ってもらう」ことがミッションとなる。
これはなかなかハードルが高い。
最近読んだ本に拠ると、「新製品のほとんどが最初は売れない」んだそうだ。
いわゆるイノベーター・キャズム理論の話。
普通は多くの人は実績も肩書きも無い新しいものには手を出さない。
革新性を評価するイノベーターと、新しく、良さそうなものをいち早く嗅ぎ付けるアーリーアダプター。
これらの人種と残りのマジョリティの間には購買意欲とその価値観に大きな差があると。
そしてそのイノベーターとアーリーアダプターは全体の2割しかいないと。
昨日書いたような音楽好き云々の話にも関係していて、音楽好きの中でもそもそも2割程度しか音楽が良ければ飛びつくような人はいない可能性が高い。
そりゃハードルも高くなるという話。
以前の記事でインターネットによってイノベーターが多様化、マジョリティは各クラスタに分散したのではないかと書いたことがあるが、そうだとしたらなおのこと、自分の音楽を良いと言ってくれる人を見付けるのは難しくなっている。
地道な活動の中でも、古い刑事物足を使った捜査のようにどんなに小さな可能性でも総当たり的に潰していくようなものを採用することは出来ないと思う。
時間が沢山あれば、もしくは人的資源が豊富ならその選択肢はアリだと思うが、僕にはそのどちらも無い。
より効率的なやり方を考える必要がある。それは多分間違ってない。
もちろんそれにしたって、長期的視点を持って地道にやっていくことには変わりはないんだけど。
となってくると一体何をすればいいのか、どんな努力が必要なのかがイマイチ見えて来ない。
どこにどうやって届ければ自分の音楽を好きと言ってくれる人に出会えるのか。
どちらかと言うと路上に出たりライブハウスに出演するよりもやはりネットの力に頼るのが吉ではないかと今のところは思っている。
ただそれも自分1人で完結するような話ではなく、手伝ってくれる人がいなければ出来ない。
そして時間がかかる。だから前進を感じることが出来ない。そこが憂鬱の根幹にある気がする。
自分の曲の歌詞で「毎日をどうでも良い作業でこなして何かしたつもりになって」というのが出てくる。
それじゃん。俺それになっちゃってるじゃん、と思ってしまう。良くない状態である。
②ストレス発散がうまくいっていない
SNSなどで承認欲求を満たすことが出来る様になり、消費の方法も多様化。
消費するだけでなく誰もが発信することの出来る現代において、
多くの人と同様、僕も「何者かでありたい」という欲求を抱えている。
というか、その欲求を満たす為に音楽を作っている側面は強い。
そして、今音楽を作ることから売る方向へシフトしたことで、自分が何者かである、という承認が出来辛くなっている。
結果が出ないから自分を誉めることも出来辛い。他人に誉めてもらうこともあまり出来ない。
そしてそういったストレスを誰かに話すタイミングも無い。
なぜか週末忙しく予定が入っていたりする。これまではそうでもなかった筈なのに。
話が戻ってしまうが、仮に友人に会うことが叶ったとしても、これまでは明日から頑張ろう、で音楽作ってれば良かったが売らなきゃいかんというのはなかなかにしんどい。
やはり、現段階で出来るのはCDの手売り、カバー音源の制作、MVの完成待ち、くらいなものだろうか。
この間新宿で路上ライブ初敢行しようとして1分半で警察に止められたのにCDが2枚売れたのはマジで奇跡的だったが、そんなのが何回も続くとは思えない。
何より都心が遠い。
それに、誰も足を止めない場所でひたすら自作曲を歌うほど自分は心が強くない。
というかみんなよくやれるよなと思う。
意味が無いとは思わないので定期的にやりたいとは思うが、今のこの憂鬱を引きずったままやるのはあまり良くない気がする。
何だか一生懸命に憂鬱だと言っているだけになってしまった。
どうにもネガティブになってしまうタイミングが多い分、すっぱり忘れて人生を楽しむタイミングがあってもいいと思っています。
ので、今夜はもうダラダラして余暇を楽しもうと思います。
アディオス。
どうにもブログの更新と言うやつは忘れやすい
いつも通り、気付けば大分放置してしまっていた。
恐らく、書くからにはちゃんと書こう、と言う自己満足的で取るに足らない似非完璧主義が邪魔をしているのだと思う。
一日500文字でも、書いた方がコンテンツとしては正しい在り方だと思うんだけど。
毎日のルーティンワークにブログを書くっていうのを足そうかな。
でもトラック作りって案外疲れるから、最後にブログ書こ、ってならないんだよな。
億劫になってしまう。
要するに音楽作るほど文章書くのは好きではない、ということなのか。
或いは、どちらも好きだが両方に注力するほど自分には集中力、持久力、管理能力を含めたキャパシティが無いのか。
若しくは、これまで培ってきたスキルは音楽の方が圧倒的にあるのだから、そちらを使って表現していきたいからなのか。
多分それらが割合を変えて自分の中に存在しているから、ぐいぐいブログ書こうとは思わないんだろう。
いつか小説とか書いてみたいなと思う気持ちはあるが、「いつかやってみたい」とか言ってる間は一生やらないし、少なくとも自分の場合は今ではないと思う気持ちもある。
とにかくオリジナル音源を作って販売したり、カバーを作ってネットで売名したり、或いはどこかしらでライブをしたり、そういった活動をするべきだと思う。
しかしたまに、やはりこのままでいいんだろうか、という気持ちはどうしても浮かび上がる。
生来の性格で対人関係においては照れ隠しや自分を大きく見せたいという思いからか、自信有り気に話すことが多い。
けれど、大体1人でいる時は音楽のことか、それをどう売るべきかを考えている手前、今正しい方向に向かっているのか不安になる時はもちろんある。
例えば、前から名前は知っていて自分の企画にも呼びたいと考えていたバンドがメディアに載った、とかメジャーデビューした、とかそういう他人の実績系を見た時なんかは、自分も人間ですから、焦ります。
というか、僕は実はこう見えて結構焦っているつもり。
一番は両親にまだ何も恩返し出来てないと思うから。
早く成功して、世界一周旅行でもプレゼントしてあげたい。安心させてあげたい。
これは本当に思う。
その他にも色々あるが、焦ってはいます。今年一年で大きい結果を出したい。前進はしているけど、まだまだ足りない。
まあみんなそうだと思うけど、他人がネクストステージらしき段階に進んだっていうのは結構複雑な気持ちになる(現在進行形で誰がどうだとかいう話ではない)。
多分、その根幹には「自分だってこんなに頑張っているのに、何であいつらが」という気持ちがある。嫉妬、羨望、そう言葉に出来るのかもしれない。
こと自分に関して言えば、作っている曲には自信があるし、その自信が裏付けされるだけの努力もしてきた。
誰のどんな音楽を聴いても、自分は自分にしか提供出来ない個性を発揮出来ていると思う。
なのにそれが何故評価されないんだ、という気持ちが強いのだろう。
まあさらに分析してしまえば、単純に世に広めようとする努力が圧倒的に足りてない、というだけなんだけど。
広める為にはやはり1人で出来ないことが多い。一緒に頑張ってくれる人を見付けなければならないと思う。
ただ、例えば自分が今レーベルに音源を送ったり、オーディションに応募してみたりしても、何の反応はないのだと思う。
実際にいくつか応募したり送ってみたことはある。
実績に乏しいシンガーソングライターを売りに出すギャンブルが出来るようなところは恐らく今、無い。
「ある程度の実績くらい自分で作れないで他人に売り出してもらおうとか甘いんじゃないですか」
そういうことなんでしょうね。
商売と芸術性というのは恐らく本来相反するもので、音楽のようなものはその2つが割合を変えながら共存しているのだと思う。
こと日本においては、音楽性の追求というのは理解されづらい風潮を感じる。
今の自分には商売としてうまくいきそうな可能性が見出せないということなのだろう。
理屈としては理解出来る。
けど、もっとみんな音楽好きなんだと思ってた。
音楽さえ良ければ喜んで食いついてくるような人達が、音楽やってて、音楽売ってるんだと思ってたんですよ。
そこに売れてるからとか有名だからとかあんまり関係ないと思ってました。
とまあ決めつけるのは簡単なんですけどね。
普通に世の中的な音楽の良さと自分のそれが一致していないって可能性も全然ありますし、資本主義社会ですから。
まだ結論付けるには早すぎる。
大分ネガティブなこと書きましたけど、全然変わらず頑張る所存です。
そもそもまだ新しい音源とか全然世の中に聞いてもらってないし。
ホント思うんですけど、地道な活動っていうのが一番大変なんですよ。
続けられるのは、本当に好きな人だけ。
好きじゃないことを続けられるのはそれに見合う対価が得られる場合と、何かしらの強制力が働く場合じゃないですかね。
だからみんなサラリーマンやるんだなあ。
自分がちゃんと人気が出て1人でやっていけるようになったら、
「本当に良い」と思えるミュージシャンはどのくらい売れるかとかそういうの無しでサポートしてあげたいと思う。
無名の新人でも、音楽さえ良いと感じられれば企画に誘われたら出演してあげたいと思う。
CDが何枚売れてるかも、ライブの動員が何人なのかも、動画再生数が何回なのかも関係無しで。
送られてきた音源だけ聴いて、ライブの動画だけ見て気に入れば。
きっと本当に音楽が好きで、悩んで悩んで作ったものが世間に評価されなくて絶望して、っていう人は沢山いるんだと思う。
自分の好みの問題になっちゃうけど、少なくとも自分が信じて目指している音楽と近いものを感じられるのならば、助けてあげられるような存在になりたいなあ。
そんなこと言ってると有象無象から死ぬほど音源送り付けられてきて世の中に絶望することにもなるんだろうけど。
今はそう思っていたい。
そして明日も明後日も音楽を作り続けるのだ。
ブログは一日100文字でもうpするよう頑張りたいと思います。
地道な活動が大事だ。読んでくれてるそこのあなた。応援してもらえたら嬉しいどすえ。
では今日はこの辺で。
作詞・曲、編曲等の制作ご依頼について
池澤寛行は個人・法人を問わず楽曲制作のご依頼をお待ちしています。
出来ること
- 歌モノの作詞・作曲・編曲
- ドラム、ギター、ベース、キーボードの演奏・打ち込み
- インストゥルメンタル、BGMの制作
制作事例
アレンジしたもの
ご料金
【歌モノの作詞・作曲】
4分程度で各50,000¥〜
【編曲】
4分程度で50,000¥〜(ミックス込み)
【BGM・インストゥルメンタル】
30秒〜1分で30,000¥〜
1分〜2分半で50,000¥〜
2分半〜4分で70,000¥〜
まずは下記からお気軽にお問い合わせください。
雑記4/11:未来の音楽家は何をする人になるのか
昨日、新音源のジャケットのデザインを頼んでいる大学の後輩に会ってサンプルを受け取り、色々と話しました。
その時に出てきたこの話がとても面白い。ちょうど最近話題になっているというのが聞けてラッキーだった。
AIが今は亡き偉大な画家や音楽家の特徴を学んで彼らの新作を作れる様になる未来。
超興味深いですよね。
僕はこれとは全く関係無しに、入力したMIDI信号をリアルタイムで再現出来るロボットプレイヤー達が安価に手に入る様になったら面白いなと思っていました。
その手の研究も恐らく、知らないところで進んでいると期待しています。
例えば、かのレイディオヘッドのメインヴォーカル、トム・ヨーク先輩をして「挑戦的な音楽を作ることは彼に任せた」と言わしめたスクエアプッシャー先輩。
彼がロボットを使った超絶技巧音源を作った、という記事はまだ記憶に新しいです。
「どんなに打ち込みが発達しても人間の手に寄る生演奏の需要は減らない」
こう考える人は今、少なくないと思います。
実際フェスやイベントが増えてますし、モノよりも体験を消費したいという需要が高まっていると言われていますよね。
生の演奏の魅力について考えてみると、やはり音の解像度の高さや荒々しい迫力、元の音源には無いミスやアレンジ、そういったものが求められているのだと思います。
そしてそれ故に、打ち込みが発達してもライブの需要がある限り、演奏者の仕事は無くならないと今考える人は少なくないと。僕は思っています。
しかし、コレは将来的にもずっとイエスなのか?
僕は限りなくノーに近いと思っています。演奏者の需要は恐らく下がります。
同時に、恐らく作詞作曲編曲録音ミックス、そういったものが人の手によって行われる機会も、(どのくらいの勢いでかはわかりませんが)減少するのではないでしょうか。
理由は単純明快、機械が発達するはずだからです。
さっきの記事ほど指や腕が多い必要はないんですけど(笑)、プレイヤーを雇って演奏してもらうよりも安価に、打ち込んだデータを忠実に再現出来るロボットが開発されたとしましょう。
僕のような1人で打ち込んで音楽を作っている人間は喜んで食いつくと思います。
なぜなら、わざわざ楽譜を用意したり、それぞれの予定をヒアリングしてスタジオを押さえたり、楽曲ごとに指示を出したりする必要が無くなります。
しかも、ミスすることも理論上はありません。
かつ、お客さんが生演奏に求めているであろう条件もほぼクリアすることが出来ます。
例えば、佐野康夫やクリス・デイヴ、スティーヴ・ガッドのドラムをAIに完全に分析させて演奏させることが出来るロボットが実現したら?
ピノ・パラディーノやミシェル・ンデゲオチェロや亀田誠治のベースを「本人抜きの新作」で再現出来たとしたら?
しかも、それが人を雇うよりも安価に手に入る様になったとしたら、わざわざ人に頼んで演奏してもらう必要があるでしょうか?
レコーディングの現場でも、「打ち込みではなくリアルな音が欲しい」という要望すら、機械が演奏出来れば満たせてしまうことになります。
作詞作曲、アレンジなんかもAIに学ばせたら、プロフェッショナルレベルのものが簡単に入手出来る様になるかもしれません。
イヴの時間、というアニメーションでは、かつてピアノを弾いていたがやめてしまった主人公が描かれています。
彼がやめてしまった理由は、生演奏のコンクールで機械が弾いたピアノに審査で負けたからです。
囲碁や将棋、ゲームの世界ではもう機械が名人に勝つところまで来ています。
そういう未来が、本当に来るんだなと。
ちなみに断っておきますが、僕は「音楽に携わる人間なんて全部機械に取って代わられます。ざまあwww」などと言いたいわけではありません。
「リアルタイムで人間が演奏する」という需要は完全に無くなることはないと思います。減ることは確実だと思ってますが。
じゃあ何が言いたいのかというと、コレ、すごい面白くないですか?
今打ち込みで音楽作ってる自分が、将来何してるのかまるでわからないわけですよ。
何じゃそりゃっていう。ワクワクしますよ。
産業構造の過渡期に生きてるんだなと。
そして、未来の音楽家は何をする人になるのか、というお話ですが、正直わかりません(笑)
ウェブデザイナーなんて職業は10年前にはなかったって言いますし、先の仕事のことなんて想像出来ませんよ。
ただ、例えば映画のBGMが生演奏から録音に代わった時。
移動方法が馬車から自動車に代わった時。
そういう「一見どうしようもなく仕事が無くなる」と思わされるような産業構造の変化は、楽しめさえすれば逆にチャンスなんだと思います。
少なくとも僕は今日書いた様に音楽の作られ方が変化したとしても、自分にはきっと音楽関係で出来ることがあるのだと信じています。
AIに学ばせたら富樫先生の新作が読めたりするのかなぁ。
そうだとすれば、消費者観点からすれば最高の話だなぁ。
さて、今日は友人の誕生日なのでプリンを作っています。完成したら渡しに行ってレモネードのシロップでも作ろうかな。
ジャケもほぼ完成で音源リリースが現実的になって参りました。
これからの活動も要CHECKやで!
それでは今日はこの辺でばいちゃ!