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自分は恐らく善人なのだろうなと思う。
最近とみに思うのが、どんどん父親に似てきているということ。
実家にいた頃、母はいつも父が優しい、子供思いの人だと言っていた。
父は実際、母の要求にしっかり答える男だった。本当に祖父母の息子なのかと思うくらい、家事にもちゃんと参加していたなと今にして思う。
育ってきた環境はやはり自分に多大な影響を与えているのだろう。
そりゃ似てもくるわ。
父は善人だからこそ、きっとその人生に波乱をもたらしてしまったのだろう。
今僕はそれを責めることは出来ない。
かつては毛嫌いもしたし、ぶつけどころのない思いを引きずって思い切り投げつけて、誰も幸せになれないような最悪の瞬間だってあった。
ずいぶん屈折もしたし、そのことが無ければ違う人生もあったんだろう。
けれど気持ちはわかってしまうから。
今は両親ともに尊敬してる。不甲斐ないのは自分のみです。
どうしてこんな清々しい気持ちでいられるのかはわからないが、自分と関わる人には全て幸せであって欲しいと思う。
いつだって、皆の幸せな近況報告を待ってる。
けど自分が幸せに出来る人の数というのはやはり、限られているんだろうな。
どうしてそういう制限が出来てしまうのか、真剣に考えたい。
論理と感情の割合というのは人によって違うのだと最近思う。
僕はやはり感情の人なのだろう。
自分ではあんまり思っていないのに、繊細だとか、傷付きやすいと言われることはやっぱり多い。
好きでよく遊んでる人達とも価値観が合わなくて不思議に思うことも多い。
それでもやっぱり関わってくれる人皆のことが好きでいられるのは、100%論理でも100%感情でもない、ちゃんとバランス感覚を持った人達と一緒にいるからだ。
共存っていうのは、そのバランス感覚が自分と違うことをお互いに認め合うことから始まるんだと思う。
いつだって泣きそうなんだって顔したロックバンドのことは好きになれない。全然好きになれない。
けれど、その人達と、その人達を好きな人達のことを否定する気なんてさらさらない。
人類は皆、わかり合えなくていいんだよ。わかり合えないことを前提に、落としどころを見付けていくのが楽しいんだ。
俺のことなんて、理解出来なくていいんだよ。キモくていい。鬱陶しくていい。
我々はみな等しく、孤独な旅人なんだろうな。
最終的に独りであることを、そんなに寂しいとは思わなくなった。
別々でも良いから、一緒にいれば良いんだよ。
寂しい時は連絡ぐらいよこせよ。お前ら。
久しぶりにブログ書いたけど、やっぱ文章書くのって楽しいな。
僕は元気にやってます。