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オーディションを終えて思うこと。
バズはそこそこ大事。
「話題になる、させる」ということがここまで一般人に可能になった今、使えるものを使わないのはどう考えても悪手。
事実、Seaboardを使った楽曲はツイッター上でかなり拡散され、それを契機にフォロワーが増えたり、気にしてくれる人が増えたりはした。
けれど、「続けられる好きなこと」でやらないと、絶対きつくなる。
何故かと言えば、どうしても俗っぽい内容にならざるを得ないから。
一発屋的発想でのバズは喜怒哀楽や三大欲求を刺激するものに性質が寄っていく。
誰でもわかるものというのは、バカに寄せていると言う意味でもあるからバカらしくもなる。
自然とアーティスティックなものからは離れていく。
コンテンツの良さと言うのは人によって違うし、そう言うものを否定するつもりはないけれど、自分は文化を愛でると言う感覚を大事にしたい。
ので、オーディション期間中はネタ感のある曲をたくさん作ったが、ギリギリ自分の中で許せる範囲の、自分のことを嫌いにならなくて済むような内容で、と言うのは最初から決めていた。
音楽の一番の根幹の部分、大事なものを捨ててしまっては意味がない。
それは行きたくない会社に行ってやりたくない仕事をしてお給金をもらうことと大して変わらず、それなら普通に働けばいいし作りたくない曲を作ってお金を儲ければいい。
あくまで自分にとってかっこいい音楽を世の中に認めさせて、才能のある人間をフックアップして、文化芸術を拡大再生産していく、と言う姿勢を貫き続ける。
でなければ今のところの生きる理由が中途半端になってしまう。
僕は今のところ、Seaboardの曲がバズって2000イイネをもらうよりも、釈迦の手のひらのような曲を作って家族や友達が「いい曲だね」と言ってくれることの方が嬉しい。
もう一つ理由を挙げるなら、バズを起こして人気を得る方法は実はかなり時間がかかる。
世の中は刺激で溢れているし、遊び道具は無限に存在する。
どこかで発想をぶっ飛ばさないと、大体みんな見たことのあるものになってしまうのでそう簡単に注目はされない。
Seaboardの曲がウケたのは曲の内容だけでなく、物珍しかったから。
視覚的にも珍しくてパフォーマンス性が高かったからだろうし、大道芸のような要素も無ければ残念なことに衆目は集まらない。
さらに言うならば、この一回のバズすらも世の中の規模からしてみれば小さい数字と言わざるを得ない。
で、この数字を増やしていくためには、一つの方向性・嗜好性を持ったコンテンツを継続的に出して行き、気にしてくれる人を増やさなければならない。
途中からは恐らく倍々ゲームのように、跳ねる時の大きさが劇的に変わっていくのだと思うが、そうなっていくまでにはかなりの時間や運の要素が必要になる。
好きなことで無ければ絶対に出来ない。
少なくとも僕はJunk Food Societyのような曲をさらに量産していこうとは今のところ思っていない。
「いい曲だけ作っていればいい」とは思わない。
いい曲の定義が人によって違う以上、押し付けがましくなってしまうから。
だけど必要以上に世の中(だと自分が思っている何か)の気持ちを忖度することも大して効果はない。
このオーディションとJunk Food Societyでそれがよくわかった。
とりあえず目下自分がするべきことは息をするように曲を作って公開してを繰り返していくことなのかなと。
色んな話が少しずつ動いていてまあ面白くなりそうなので、このブログを読んでいるレベルのマニアの皆さんは期待していてください。
オーディション終わったからしばらく曲作りもせずに漫画やゲーム三昧したいところだが、そうも言ってられないようで、ハァ・・・となっています。
今後はYouTube関連を増やしていきたいと思ってて、曲だけでなく制作風景だったりも上げていけたら理想。生配信もしたいけど、ちょっとわかりません。
まあ楽しく生きていきたいよね。
あ、あとよくネットでの動きしか見たことのない人と実際に遭遇すると言われるんですが、寡黙なアーティスト系の人ではなくて、僕めちゃくちゃよく喋るしフレンドリーな方です。
番組見ればわかるように音楽好きなただのアホです。意外と感受性豊かで繊細で傷付きやすい方だけどね。ぐはは。
その辺で見かけたら話しかけてくれても構いませんからね。
本日のおべんちゃらは以上です。